2008年 7月~12月
→バックナンバー
12月31日(大晦日)
今年は大変な病気をしました。今でも左側は重く感じます。しかしこの程度ですんだので本当に助かりました。神に感謝です。来年は病気に怯えることなく(細心の注意をしつつ)旅行でも
行きたいと思っています。また、今年は叔父さんを始め数人のお世話になった方が亡くなりました。来年は喪服を着る事もないようになりたいものです。仕事も娘夫婦と共に始まり大きな変化の年でした。私も若い世代を手助けしながらやっていこうと思います。無理はできませんゆえ。
本当に今年はお世話になりました。良い年をお迎え下さい。


12月29日(月)
ブルース・ソウル・レコード85号で塩次伸二氏の追悼の文を WestRoadのメンバーが寄稿している。クリックして購入してお読み下さい。


飯島愛さんの死でテレビは賑わっているが 今年草柳文恵さんが逝去されたことを知り驚いた。合掌。


12月28日(日)
今朝の目覚めは清々しかった。昨夜は大勢の仲間が集っていただき楽しい夜であった。小学校中学校の旧友もたくさん来てくれた。shibaの唄ギターとも素晴らしかったな~。
氏神さまの掃除をしお餅を取りにいき年末の新年を迎える支度も始まった。
それにしても一月前の身体よりかなり動ける自分がいたのに驚いた。毎日の運動がいいのだろう。


12月27日(土)
今日は 今年最後のライブです。もちろんオリオンです。いろいろなことがあった今年でしたが
ライブが出来るようになりやはり一番嬉しい!!ゲストは幼なじみであり親友のshibaです。
同窓生の皆も来てくれそうだし大いに盛り上げたと思っています。年末ですが是非来てください。


仕事は患者さんとの信頼関係の中で行われないと何をやっても上手くいかない。25年過ぎてもこれは変わらない。ここで大切なのは自分の健康状態がいかなる場合でも一度でも手をつければ 責任が生まれる。しかし患者さんとの関係が 崩れると感のようなものも生まれてこない。患者さんの苦しみをまず聞き受け入れてこそ治療は始まる。自分に余裕を作らなければならない。難症例の患者さんにも まず聞く耳を持たないといけないと反省する。今までの治験例からあらゆる手を尽くす。出来なければ紹介するこのことは基本だ。

12月24日
Merry Chistmas
母が施設で体調を崩し 病院に転院しましたので忙しく動き回る日々でした。
入院した病院で母も大分回復しようやくほっとしました。今日はCristmas家族で静に美味しい料理を食べました。孫はサンタクロースがいると信じていますので そっと寝静まった後
プレゼントを 枕元に。自分の病気を振り返りこんな日も迎えられる歓びに感謝します。




12月19日(金)
12月18日(木)JIROKICHIに家内と行ってきました。長いツアーが終わった「blues,the-butcherー500213」
JIROKICHIでLeyone嬢をお呼びしての熱い演奏でした。

ロードは移動が疲れれるといいます。もうすぐその移動中の報告がホトケさんの
HPで書かれると思います。どうぞご期待ください。


19:30pmから時間きっちりにSTARTしました。オリジナルのTシャツの由来を
ドラムの沼澤氏が話してくれました。「アールパーマー」氏のことなど含め
Bluesにおけるドラムそしてバンドの由来の話も聞けました。演奏はその解説以上のPlayで聴衆にしっかり見せてくれました。しかし上手い。そしてダイナミック一段と凄みを増したこの天才ドラマーの演奏はどんどんと胸を魂をかきむしります。


Leyona嬢もすっかりメンバーと溶け込み素晴らしい唄。日本でこれほどまでも歌いきれるBluesの女性は初めてでした。彼女の身体から醸しだされる言葉は はっきりと来ているみんなに届けられました。

もちろんホトケさんも元気一杯。コテツ氏も。また今回中条氏のベースラインに
魅了されました。いやあ いいです。一曲一曲が生きています。

ほぼ2時間いいライブでした。今年の締めの演奏をJIROKICHIで観られたことそして聴衆の一人になれたこと いい一日でした。


来月は8日からJIROKICHIを皮切りに後半はまたツアーに出て行きます。
ブルーズ・ザーブッチャー 当日遺影の写真がおかれた浅野氏の魂とともにロードは続きます


12月17日(水)
新宿にある461のマスターからボブ・ディランのHPを紹介していただきました。クリックして
下さい。世界中をツアーするディランがいます。


明日JIROKICHIでホトケさんが今年のJIROKICHIでのLIVEをします。ゲストも関西のツアーで一緒だったLeyoneさんが参加です。私も行きます。  


12月15日(月)
孫も熱も下がり元気良く学校へ。昨夜は薬を飲み忘れてしまい 今朝は久しぶりにもやもやの
夢をみました。拍車をかけてこの寒さ。左側は正直に強張りを。 受け入れて朝食。お茶の美味しいこと。今年もあと2週間とちょっと。病院へ行ったりする他は小さな旅行があります。


今日の午前中の仕事は少しHeavy。今の身体ではこなし切れないなぁ。昼寝をたっぷりとって寒い中ハナコの散歩のお付き合い。来週は冬至。早く日が長くなって欲しい。


12月14日(日)
昨日は曇り空。午前中は気温が上がらず仕事場は冷え切っているところにいた。夕方より気温が上がりオリオンへ。クラックアッパーズ・ドミナントメジャー7thの出演。とってもいい演奏を観られた。クラックアッパーズのリーダー中島氏のテクニック。驚いた!!ギターで
Saxオルガンの音を出していた。是非またオリオンで観たい。ボーカルの女の子も素敵な唄だった。ストレートな声と性格の良さが滲み出ていた。ドミナントこのバンドは本当に各自の個性がいい意味で異なっていてそれをFUKUOちゃんがまとめられそうでまとめられないアンバランスがある。ここが面白い。今日も何処かで沈没しているだろうな。


昨夜は俊(馬場俊英)もサクラメートでライブだった。気さくなナイスガイの男で家に遊びに来た時も一緒に居る感触がとても心地よかった。 今は大ブレイク。そのままの彼が唄を作り共感を得るのも当然だ。素のままだからだ。好きな音楽でご飯が食べられてお客さんも一杯入り良かったなあ、俊!!


身体は寒さに堪える。暖かくして出かけないといけないな。左側の強張りが寒さで増すことがある。


12月12日(金)
表紙の絵を書いていただいた永島先生の家に行きました。午前中は世田谷の整体を受け 孫は世田谷線に乗り嬉しかったようです。本当に可愛い電車です。TVドラマ「スイカ」に沢山出てきます。そして午後杉並の永島先生の家に。17年ぶりです。表紙の絵の原画を頂いたのは
阿佐ヶ谷にお住まいの頃です。昨日は陽射しが暖かく先生の娘さんもご在宅でいろいろ奥様と一緒に話しをしました。先生の遺言で香典等は頑なに断れました。先生がお亡くなりになり3年を過ぎました。先生の作品は今でも愛でるように読んでいます。


12月11日(木)
昨日、インフルエンザの予防注射を家内と共にした。風邪を引いたりすると血圧の調整などに
支障をきたすゆえ。4月の大病から慎重に体調管理をしたいとおもっている。何にしても身体が資本だから。打たれた瞬間のどの奥がかぁ~と熱くなった様に。今何となく熱っぽい感じ。


HPの掲示板を閉鎖し何年だろう。いまだに友達のHPをみると「荒らし」に苦慮しているのが見られる。どういう人間が「荒らし」をするのか-馬鹿者め!!HP自体の閉鎖に追い込まれてしまった人も居る。
公開すると言うことはコミュニティを求めてのことだからこのHPも掲示板を復帰できないのは
誠に残念。その対応方として友達から以下のことをアドバイスされた。
対応策として
1、公開は、承認制にする。
2、メンバー登録しないと書き込みできないようにする。
3、CAPTCHA(画像認証)で、ツールを使った自動書き込みを防止する。
4、特定のIPアドレスからの書き込みを拒否する。
5Akismet(スパム判定サービス)を使う。
などなど・・・。
突然と消えてしまった友人が書き込んでくれ思わず「おおおーー」と叫んでしまったことがある。もちろん嬉しくってだけど。とにかく今はmlixiで仲間と意見交換している。


12月10日(水)

自民、民主両党は8日、親などが国民健康保険の保険料(税)を滞納して「無保険」状態になっている子どもの問題で、民主党など野党3党提案の救済法案を修正し、対象年齢を18歳未満から中学生以下に引き下げ、短期保険証を一律に交付することで合意した。今国会での成立を目指す。

 厚生労働省の調査では、無保険の中学生以下の子どもは全国で約3万3000人で、病気になっても受診を控える可能性が指摘されていた。

 民主、社民、国民新3党は、18歳未満に保険証を一律交付する救済法案を今国会に提出。自民、民主両党の実務者が修正協議していた。自民党は8日の厚労部会で修正案を了承、民主党も了承の方針。

 修正案は、独自の救済措置を取っている地方自治体の多くが救済対象年齢を中学生以下としていることから、法案の対象年齢を引き下げる。保険料をきちんと納付している世帯に配慮し、有効期間が6カ月の短期保険証を交付する。

 10日に衆院厚労委員会で委員長提案し、採決する方向で調整している。

 救済法案は国民健康保険法改正案。現行の国保法では、保険料を1年以上滞納した世帯は保険証を返還させられ、医療機関でいったん医療費全額を支払うことになる。そのため経済的に苦しい家庭で、子どもの受診が控えられる恐れがある。

▽短期保険証

 短期保険証 国民健康保険料(税)を滞納した世帯に対し、市町村が通常より有効期限を短くして交付する健康保険証。窓口で交付する機会を増やし経済状況や滞納の理由を把握、納付を促すのが狙い。期間は1-6カ月程度で、2007年6月現在、全国で約116万世帯に交付された。保険料の滞納は1年以上続くと短期証も返還させられ、代わりに資格証明書が交付される。資格証だといったん医療費全額を支払うことになり、経済的な負担が重くなる。


★このことは現場で実感している。

12月9日(火)
昨日は鼻水が水のように仕事中出てしまうので市販の薬を飲んだら 寝たこと寝たこと。
それも考えものですね。急激な寒さに鼻が対応しただけのこと。風邪の症状は他にはまったくなく ただ水のごとくでは、仕事に差し支えます。市販の薬 こんなに効くのかって驚いています。

今日はJohnLennonの命日。Johnの歌声偲んで。原点だなあ。やっぱり。

12月7日(日)
家族で食事後8時には眠ってしまった。馳周の「M」を読む。睡眠が6時間続いてということは
余りない。4時間くらいで起き夜中PCやら本を読みまた今は伸ちゃんのCDを聴いている。
昼寝はしっかりとる。寝すぎくらいと思うけど自分のリズムだから気にしていない。昼寝をとらないとふわふわした感じになってしまう。
今日は 風景を写真に収めてきようと計画している。母のカメラが使えたらいい写真と撮れると思う。母の作品ははっとするものがあった。しかしいろいろ操作が細かくて。母は写真のグループに入ってデパートなどで展示していたこともある。


12月6日(土)
午後になり北風が吹き寒い。ハナコとの散歩も用を足せば即帰る事に。伸ちゃんの「cookin’
with B-3」(追悼盤)を購入した。伸ちゃん全曲弾きまくりでいい感じ。映画「バッチギ」最高!!2回も観た。井筒監督やっぱりいいなあ。

12月5日(金)
昨日は仕事が休みだったので 鍼治療と母に会いに行きました。母にじっと見つめられその目指しの柔らかさに包まれました。何もしてやれない自分に対しての罪悪感か 母を見舞った時はものすごく疲れます。
ウォーキングマシンを購入しました。毎日30分~40分歩いています。継続は力なりですね。
好きなDVDを観ながらですので続きそうです。いやリハビリに歩かなければ。


会社を辞めたいですか?とい質問に対し以下のことが調査で分かった。
会社の社員であることに誇りを感じていますか? ネットマイルの調査によると、「電力・ガス・水道」の業種で働いている人は「誇りを感じている(強くそう思う+そう思う)」(50.7%)との回答が最も多く、次いで「専門コンサルタント系」(40.2%)、「団体・連合会・官公庁」(38.7%)という結果が出た。

【拡大画像や他のグラフを含む記事】
★仕事について経営者にとって必要なのは この不況時とにもかくにも人材の活力だと思う。切り捨てられた人たちにも会社のことを考え頑張っていた人も多いと思う。


12月4日(木)
時間があるのでPCのキーボードの掃除をしたら、とても好調に打ち込める。ちょっとしたことで
PCも機嫌がよくなるのを確認。リンクしている加藤保美さんが癌との戦いを加藤さん自身のHPで公開されている。加藤さんは、トンボ公園の音楽祭にも来ていただき素晴らしい写真を載せていただいている。頑張って欲しい。現在抗がん剤の治療を受けていらっしゃる。癌細胞と正常細胞と以前は識別出来ない抗がん剤ゆえ副作用はきつかった。今はそれを識別する抗がん剤が認可されたとのこと。しかし1回4万円で週1回は、受けなければならないので費用もかなりかかる。高額医療支給は3ヵ月後ゆえ大変だ。

写真は私のPCです。

12月3日(水)
黄昏る。海を見てぼ~としたい。井上ケニーさんのところへ行き 下田の海を見ながらケニーさんの奥さんの料理を食べ近くの小さなホテルに泊まり・・・・。来春家内と計画している。


愛犬と散歩をしていると彼女の大の仕方が愛くるしい。しかしこの方法は便秘の方にもお薦めだ。人間は以前は四足だったと考えてしまう。そして自分でも同じ動作をしてみて納得してしまう。
デジカメをようやく始めた。ハナコと収穫を待つ畑をどうぞ。ハナコは照れて食事以外は顔を背ける?畑は大根と白菜です。


12月2日(火)
このHPも掲示板を閉じて長い時間が過ぎた。トンボ公園の掲示板も閉鎖に追い込まれた。誰が書き込むのか「荒らし」は止まることをしらない。私の掲示板は一生懸命削除をしていたが
最後は絵を書かれてもうお手上げだと思い閉鎖した。とてもかなわない。掲示板はコミュニティ
にはとても便利だった。懐かしい友からの書き込みもあった。反応が確かめられた。今この日々思うことは遠くに居る友達に向け「こんなことをやっているよ。こんなことを思っているよ」
と書いている。全く見ず知らない人には向けていない。よっぽど怒りがこみ上げたときには多くの人に書いていることもあるが。


12月1日(月)
昨日はトンボ公園自然館の大掃除そして会の忘年会があった。本当にこの一年会はいろいろな出来事があった。行政との関係も浮き彫りし私もいい勉強をさせてもたらった。体調を崩し
半年の期間は会への参加を断念せざるを得なかったが新執行部も本当に頑張ったと思う。
そして我々は一月(ひと月)に一回の作業をこなし幹事会を行い行動することだ。会報も変わることなく出し続け100号まで頑張っていきたいことを皆で確認しあった。
2010年寄居町で全国トンボサミットを開催することも決まった。


インドパキスタンこの2国の歴史をしっかり学んで生きたい。国境線での争いだけは回避するよう世界が一つにならなければならない。


11月30日(日)
Shibaが無事帰国し家内と共に胸を撫で下ろした。良かった。


インドから帰国した日本人の人たちは恐怖の33時間をインタビューで答えている。いきなりの発砲だったゆえ凍りつく恐怖だったろう。それぞれの部屋で救出を待つ時間携帯が利用されて
自らの気持ちを少しでも落ち着かせたとのこと。外国に行っても携帯は日本に掛けれる。飛行機内では無理だがホテルでは利用出来る。インドの特殊部隊隣国パキスタンと2001年危険の状態が起きてから精鋭の部隊がいるのだろう。共に核保有国だ。今回は「欧米人はいないか」とテロリストが叫んでいたという。アメリカの大統領の空白状態を狙って決起したのだろうか。アメリカの正義が全く通用しない世界。イスラム教信者は世界で最も多い。オバマ新大統領は 来年1月に就任する。テロと名指してブッシュと同じ方向に行くのか見ていたい。


11月29日(土)
私の大切な幼いころからの従兄弟であり親友でもあるShibaがインドのムンバイテロ事件に
影響を受けている。Shibaからのmixiへの書き込みは以下の通りである。


「水曜日から1週間の予定でインド(デリー)からタイに回る出張に出ている。
ところが、、ムンバイでのテロ。バンコックでPADによる空港閉鎖。
最悪のタイミング!!!急きょ土曜日、夜の便で帰国に予定変更。
何事もなく帰れることを祈ります。」

無事に帰国されることを切に祈っている。イスラム教徒とヒンズー教徒との抗争はガンジーの心を悩ませたことである。まして無防備な人たちを巻き込むことは 決して許されない。暴力での抗争は作用反作用の法則で止まることはない。非暴力を説いたガンジーの教えは宇宙への真理に基づく話し合いでの融和であった。世界を包んでいる経済の没落このことと同時に語るべきでない。底の深いインド。今回のテロは欧米人への事件として報道されているが、根深いところで宗教の対立も絡み付いていると思う。


11月26日(金)
吉祥寺へ行ってきた。翌日の整体が朝早かったため吉祥寺のホテルに泊まり井の頭公園を散策した。秋も終わりに近づき井の頭公園の木々も葉を落とし風贅な一日でした。そして「いせや」さんの公園通り店にも立ち寄ったが あいにく定休日。ゆえ本店に出向いた。立て直す前のお店を知っているので少しコンクリートが気になったが煙がものすごく早々と出てしまった。それから駅前のハーモニカ横丁に足を向けここもかなり立て直していたが活気があった。その中の一軒に入りのんびりと過した。いい気持ちだった。吉祥寺は今だ愛着がある。しかし33年前とは様相も様変わりだ。Shibaさんのお薦めの「中道」には行けなかったのが残念。


整体は来月もう一度予約を取ったが 私はここに来るのが心待ちにしている。話も先生とは気が合うし心地がいい。


11月26日(水)
平常の生活に戻り仕事リハビリの日々だ。ここでホトケさんとの3日間のことを振り返り書いてみたい。



3日間のツアーだったが1年ぶりの再会でもあり ホトケさんに会える嬉しさと準備等に汗を流し それに私の病気が上手くセーブし冷静に過せた日々であった。

始めは 伸ちゃんが亡き後だったのでどう話を持っていったら良いか 躊躇することもあり考えたりしたが出迎えた時に会ったホトケさんは 元気であった。ギターもツアー用の軽めのギターを持ってきた。

ホトケさんは全国をツアーして回る。私の町は本当に小さな町だが記憶はいつも確かで1年前に演奏した曲も覚えている。オリオンでのステージは上村秀右君と演奏してもらっている。二人のリハもホトケさんの指示は秀ちゃんに対し曲ごとの音色そしてアドリブのフレーズを要求している。亡き伸ちゃんがそれを行っていたこともあるだろう。Blues のアドリブもアマチュアだと同じパターンに陥ることが多い。しかし 曲ごとに様々なアーティーストは異なる。フレディキング、アールフッカー、マディーそれぞれの偉大なるBluesManを聞き込めば当然の話しだが異なる。曲を擦り切れるほど聞き込みそして自分のテイストを盛り込んだのが伸ちゃんの演奏だったのだろう。WestRoadのドラムスの輝夫ちゃんも毎回異なる伸ちゃんのギターを聞いてしまうことがよくあると話していたことも思い出す。 そして伸ちゃんは歌詞もしっかり覚えていた。

多くのセッションそしてWestRoadで同じステージに居たホトケさんには いつも聞き込み伸ちゃんのPlayに発見が会ったのだと思う。秀ちゃんにもそのことを厳しく要求しそれは秀ちゃんにとっても大きく伸びる財産にもなるだろう。


ホトケさんは本当に多くのことを語った。伸ちゃんのこともblues,the-butcherのことも大村憲次さんの10年忌のことも。大村さんが亡くなり多くの日本のBlues,Soulを創っていたミュージシャンが亡くなった。ホトケさんはその人たちをそしてその残された家族の人たちを大切にしている。ブッチャーさんの墓参りには何度も行っっていると話していた。ホトケさんはゆえ多くのミュージシャンに慕われ存在が大きいのだろう。

12月からは来年2月の新しいCD録音のためのツアーに出る。blues,the-butcherは一発取りで録音される。何回繰り返してもそれほど変わりはなくこのバンドの良さを引き出すのはこの録音方法が最善とミキサーも知っている。ツアーで試行錯誤しながらのライブを重ね音を創りあげて行きたいと話していた。12月18日(木)のツアー後のJIROKICHIが今から楽しみだ。


11月23日(日)
昨夜は ホトケさんを迎えて「オリオン」でのライブだった。お酒もホトケさんになんやかんやと
嗜められセーブでき・・みんなの楽しい顔を一杯見ることが出来た。
16:00pmホトケさんを寄居駅に迎える。
16:30pmホトケさん&上村秀ちゃんリハ
17:00pm荒川団リハ
18:00pmLOVEBONEリハ
★19:0pm~LOVEBONE演奏ー半年振りのライブ。茂樹、奥ちゃんのギターアンサンブルが気持ちいい。まっちゃんベースラインがしっかり聴こえてうねっている。ドラムスのマスター急遽の出演依頼だったがさすがのプレー。私今日はハンドマイク。左側の違和感を感じつつ抑え目に歌う。立っているのがしんどいと思うとマイクスタンドを掴む。全4曲演奏した。


★19:45pm~荒川団ー今日はNEWFACEの女性ひろこちゃんが入りTHE BandのBluesに日本語を巧みに乗せ余裕のあるステージングでお客を喜ばす。ええ感じや。まこっちゃんならじんすけちゃんホセさんそる亭ひろしありがとう。


★20:30pm~ホトケさん&秀ちゃんーインストから始まり歯切れのいいホトケさんのギターとシャウトと秀ちゃんの歌も一段とええ感じ。ホトケさんGUITAR益々かっこいい。1時間半演奏してくれた。来年2月にはblues,the-butcherのレコーディングが始まる。その音を形作るため12月から関西東北ツアーが始まる。身体に気をつけて頑張って下さい。


★最後に2曲セッションーホトケさん秀ちゃん荒川団そして私で1曲。ならじんのHARP冴える。ホトケさん秀ちゃんLOVEBONEひろこちゃんでSweetHomeChicago。出演メンバーそしてお客さん乗ってくれた。


■打ち上げ 延々と・・金太郎で。オリオンに横浜からRyoが来る。ホトケさんと久しぶりの再会。以前ホトケさん&Ryoで演奏したこともある。


★オリオンスタッフの皆さん本当にありがとうございました。
11月22日(土)
体調が悪かった時は まだまだ時間があるからと思っていましたが 体調も先月から戻りいよいよ今日ホトケさんを迎えてのLIVEの日になりました。オリオンでは1年ぶりです。大勢のかたがいらっしゃってくださるといいなあ。宜しくお願いします。


Topページの伸ちゃんの訃報はそろそろ消さないと思って、昨日消しました。みんなの心の中にしまっていかなければ。すると今朝伸ちゃんのお兄様から法要が恙無く営まれましたとの
ご丁寧な手紙がありました。消したと同時に49日の法要が営まれたとの手紙。 合掌。



11月21日(金)
昨日は仕事はお休み。病院通いで走り回った日だった。鍼治療、病院、途中で母に会いにと。
群馬から家に一旦戻り熊谷へと車で走った。病院で主治医の先生にそのことを話すと驚いていた。ただ予定していたことだ。それを恙無く出来たことは嬉しい。こんな日が毎日では堪らないが。今日は仕事の後はぼ~としたい。


11月20日(木)
寒い・・・。早起きの私だが冷気が顔刺す。早速暖房に火を点す。昨夜は半年振りにトンボ公園の幹事会に出席した。代表も山積みの問題に対し危惧を持ったと思うが 代表を払拭する時間だったので良かった。帰り道一緒にコンビニで話しをしたが嬉しそうでなにより。出席者も仕事で来られない人以外は全員出席だった。みんなの顔をみてまた誠意ある話を聞け 私も半年に及ぶ闘病生活も癒された気持ちになれた。今後、いつもの通り作業を続け問題が起こればみんなで話し合う姿勢で行くことを確認した。 これに勝るものはない。
定年後この会がなかったら居る場所がなくなるとの話は面白かった。本当だものね。


昨日は昼寝をたっぷりした。午前の仕事を終え横になったら直ぐ眠ってしまったようだ、起きて
しばらくぼ~としてから愛犬ハナコと散歩に出かけた。住職の住まないお寺も散歩コースだが お寺に人が居て驚いた。男の人と女の人だったが男の人がぶつぶつここは犬の散歩する場所かぁと言っていたが嫌な感じだった。
しかし愛犬との散歩はすべてハナコのペースで歩く。ハナコの大の始末を片付けながらだからだ。おしっこもなんでこんなにするのだろうかといつも思う。他の犬のおしっこを消すというなわばりの習慣を犬は持つからだが。家内から犬小屋の周りの匂いが消えて良いと言われているので余計散歩が日課になる。以前は母が担当だった。今日母に会いに行く。


サウナスーツなるものを着込んで出かけたが風が冷たく 汗はまったく掻かなかった。でもこの服は高血圧の人はだめっと書かれている。ボクサーがトレーニングで減量のため着る服だ。
篭った熱が出て行かないからだと思う。そんなものを着なくてもリハビリをする時は充分なる水分の補給をとることを 心がけている。


11月19日(水)
寒波到来。一年が経つのは本当に早いが去年の今頃は仕事、ライブと忙しい日々を送ったことが思い出される。昨日は半年振りにオリオンでライブのリハーサルをした。半年振りのオリオンは綺麗なテーブルが並べられゆっくりとしてライブが観られる雰囲気が造られていた。マスターがこつこつと手作りで直していったのだろう。


メンバーが揃い練習が始まった時何ともいえない気分になった。しかしそれは練習の途中から消え曲に没頭出来た。不安だったのだ。声を出しているうちにバンドのグルーブに身をゆだねることが出来た。気持ちの良いサウンドだった。
10時を過ぎ皆と笑顔で別れ、家に帰り眠れるかなあと思ったが直ぐに眠りについた。
朝になり独特な気持ちに包まれる。半年間休養していたゆえ穏やかになっている自分がいる。
それは 去年と比べ私の環境が大きく変わったことがある。息子に「お父さんはもう一杯働いたのだから無理はさせたくない」と家内に話すのを聞いて家族のありがたさに感謝した。


11月18日(火)
ドラムスのたっちゃんが病気になり22日のドラムスはオリオンのマスター朝比奈氏に変更しました。快諾してくれたマスターに感謝。たっちゃんは昨日未明救急車で運ばれましたが 症状が消えたので帰ってきました。血圧が200を越えていたといいます。ここで不思議なのは何故病院が帰したかということです。一過性の病気にしろ しばらくは安静にしなければならなく また検査などをして即、原因を調べることが大切です。(昨日の電話では10月末にも強い頭痛で救急車で運ばれたことを知った。その時CT頚部の検査などはしたそうだ)


各町で救急病院を作りましたが 小さな町の救急病院はその役割りを果たしていません。早朝とか深夜とかになると医師不足は明らかです。私も入院したとき若い医師が始めは対応しましたので不安でした。その後手術を終えた医師が説明をしてくれ安心しましたが。この安心感は状態を安定させるには不可欠です。
夜間での病院側の充実を望むしかありません血管系の病気は命を持っていかれます!!!


11月17日(月)
最近お酒との付き合いがうまくいっている。家では殆ど飲まない。たまに家族全員集合(8人)では口にすることもありますが・・。
週に一度外で食事をする機会があるが その時は芋焼酎を飲むことにしている。五朗ちゃんも
同病になり医者から勧められたと教えてもらったからだ。黒麹、黒甕、さつま無双いいものだ。
浅見ちゃん高い芋焼酎飲ませて!!

SPEEDが大人になり驚いた。再結成は歓迎だ。踊りは本当に上手い。おっちゃん応援するで!


11月16日(日)
昨夜は同窓の「4人の会」が新宿であり出かけた。待ち合わせの場所より遠い所に宿泊するビジネスホテルがあり大分歩いたが紀伊国屋,Topsなどを見たりお茶を飲んだりして「お多幸」」に向かった。料理は本当に旨かった。わきあいあいあとその後2軒も行った。新宿2丁目は初めてだったが良い感じのマスターに心和んだ。「4人の会」3年ぶりかな。


高速道路を使い帰って来たが以前はスピードが出せなかったのが大丈夫になった。いったい何だったろうか。血圧の薬をきちんと飲んでいることがOKになったのかも。ジムニーに乗っているが 快調だった。この車は山道では抜群の動きをする。河原も。


11月15日(土)
畑の大根の葉を食する。家内が大根を植えた畝と別に余った大根の種を一角に蒔いた。これは葉を食べるためにそうしたのだが ごま油で痛め油揚げなどをいれ炒めたものは栄養もあり実に旨い。大根の畝の方は確実に育っていてその他に白菜,ブロッコリーも寒さを待っている。寒くなると身も引き締まり甘み辛みも増す。季節季節に合った野菜はたいした物だ。暮頃には冬物の野菜が食卓に並ぶ。



11月14日(金)
ここ数日mixiに張り付き・・ああいい心地。とにかく面白い。コミュニティはどんどん広がっていく。blogもいいけど。反応はものすごくmixiは早い。コメントも多い。Oさんがい言うには携帯から入り込める利点もあるとのこと。


昨日はスポーツを(テニス)やりすぎた。夜にはもう筋肉痛。でも身体が動かせるようになり嬉しい限り。明日は病院の定期検査の後プールへ行く予定。プールは筋肉痛には最高のリハビリです


11月13日(木)
昨日は恒例の整体を受けに東京に行って来た。腎系統を主に行ってもらった。帰ったら心地よい疲れがあり熟睡した。世田谷線の走る音が聞こえる。いつもテレビドラマ「スイカ」を思い出す。家内とのんびり過ごす1日。貴重な時間です。

孫と孫の友達を駄菓子屋に連れて行った。わいわい騒ぎ楽しそうだ。子供の頃道路を走って買いに行った頃を思い出す。くじ、べっこう飴、ソースせんべい、・・・・45年以上前の想い出です。

夕方の散歩は危ない。なるべく目立つ服を着てハナコと出かける。秋は釣瓶落としである。
あの待っているハナコの顔を見るとたまらない。ハナコは笑う。耳を伏せ目は笑いク口元は
大きく伸ばす。なんとも可愛い。ポチの分長生きして欲しい。



11月12日(水)
mixiにすっかり嵌ってしまった。そのジャンルの多いこと。これは参加コミュニテイというものだが鬼平、剣客指南、殆ど趣味のものを通して語り合うことが出来る。私は「オリオンカフェ」
「永井”ホトケ"隆」を立ち上げた。より一層観客動員を図ろうと目論んでいる。知り合いの方でmixiをしている方、是非この2つに参加してほしい。また何より喜んだのは正木五朗ちゃん応援のコミュニティがあったことだ。ライブ情報も良く調べられていて感心した。五朗ちゃん良かったね。ただ私のHP Topの永島先生の絵が無断借用されていた。そして質問を管理人さんに
メールを送った。ご丁寧なご返事を貰った。SHAREでき嬉しい。


愛犬ハナちゃんと共に散歩。夕方だと「先生何しているの?」「先生こんにちは?」多くの方に
声を掛けられる。仕事は娘夫婦が頑張って働いているので何か気まずい。ま、いいか。。


家族での仕事は、忌憚なく話し合い良い方向に向けることが大切。口論になってもお互いを思いやり「恒歯会」という法人の会社をどの方向に進めるか患者さんにどうアピールするかなどを真剣になって話し合うことが大切。若い人はとは若い人なりによく考えていて頼もしい。
還暦になったら印は若い人に渡すことだ。


11月11日(火)
昨夜は家族で揚げ物パーティをした。総勢6人なので賑やかなこと。これに娘夫婦が加われば8人かぁ。食事は大勢の方が楽しい。私は料理も大好きです。


昨日ホトケさんから携帯にメールが入りライブが近くなったと思いました。ホトケさん昨日は金沢に居た。ホトケさんが親愛するムッシュのライブのゲストだ。是非11月22日(土)オリオンにお出かけ下さい。開演時間がいつもより30分早いですのでお間違いなく!!!


仕事のペースが心地よい。娘夫婦息子家内と楽しくやっている。家内が一番楽しそうだ。しかし歯科医の仲間はお子さんを歯科医師にしない。こんなに自らの技術で治っていく患者さんを
診られる仕事はないのに。残念だ。患者さんの歓びで元気になれるのに。


11月10日(月)
昨日の日曜日も寒かった。どんよりした空で気分も落ち込む。お見舞いに行ったが子供ゆえみんなでよけい暗くなってしまった。


最近良く歩けるようになったのは、腰が安定してきたからだ。左側の重さは変わらない。腹筋やらストレッチが良かったようだ。腰が不安定だと歩けないしそれよりも立っていられない。
大事な場所だ。アンバランスの筋肉を腰が支える。痛感した。水の中でも良い。歩くことだ。


11月9日(日)
昨日から寒くなりました。寒さがもろ後遺症の左側を冷やします。ゆっくりお風呂に入り寝ることにしています。最近ひょんなことでmixiに嵌りこみました。ホトケさんライブのお客さんを増やすことを考えて最近始めたのですがコミューンの種類の多さに驚いています。是非こHPを
訪れた方mixiで語り合いましょう。私の愛称は「トリさん」です。出会いも驚くときがあります。


ポチは本当に何処に行ったのだろう。私の家に15年前迷い込んで来ていろいろなことをしでかした犬だったが いなくなると淋しいものだ。ポチの夢までみた。


11月8日(土)
15年以上お世話になっている鍼の田端先生治療を受けた。後遺症の治療の他身体全体の具合を脈診から整えてくれる。疲れなどで病気を引き起こす古く頚椎、胸椎、腰椎も治療してくれる。
東洋医学は未病を観るという言葉があるが 確かな腕を持っている鍼の先生に会うとその部分を摘んでくれる。右耳が耳鳴りで「シャー」となっているのもお願いした。

鍼の先生の場合、私の仕事もそうだが腕の差が如実にある


畑のブロッコリー白菜大根が成長している。大根は間引きをするのだがその間引いた葉を炒め物にするとこれまた旨い。


心配事:スタッフの可愛い娘さんが怪我をした。学校内での事故ゆえ対応に大変だ。.


11月7日(金)
ホトケさんのHPに書かれている伸ちゃんについての今の心境です。喪失感が深いと思います。本一冊書いても書ききれないと思う。私のHPにリンクしてある永井"ホトケ”隆Official Siteをチェックしてください。

「塩次伸二の死」
2008/10/19 0時20分に40年来の友人であり、日本のブルーズを共に築いてきたブルーズの盟友でもある塩次伸二が急性心不全で亡くなった。
ここ数日、少し落ち着いたのでこのHPに何か書こうと思ったが一行も進まない。
あまりにたくさんのことがあり過ぎたせいか、何なのかよくわからないが何も書けない。
このHPを訪ねてくれる人たちに対しても、長年ウエストロードブルーズバンドを応援してくれた人たちに対しても何かコメントを出したいとは思っているが、いましばらく勘弁していただきたい。
Guest Bookにも私のことをご心配していただいている書き込みをいただいているが、何も返事できなくて申し訳ないと思っている。
私はご心配いただくほど弱ってはいません。普通に過ごしています。普通にライヴも続けています。
でも、自分でとにかく忙しくしていないと何かすとーんと落ちそうで、やらなければならなかったことに手をつけたりして自分で自分を忙しくしているのも事実です。
塩次伸二のことについてはもう少し時間をいただいてから、ゆっくり振り返りたくさん書き残したいと思っている。
by永井“ホトケ”隆


昨日は22日のライブについて荒川団+nakajima君と落ち合いいろんな話をたっぷり話した。
まこっちゃん信念を持って生きている。そして急に五朗ちゃんの声を聞きたくなり電話。私の病気のことを知っていた。来春ローローズが関東ツアーをするときロードマネージャーをする約束をした。素晴らしいバンドですよ。


11月6日(木)
昨夜は友達のお店に出かけたがお休みだった。それで近くのお店に立ち寄った。お店の人が言うのには10月からお店のお客さんが減少していると話していた。友達のお店も減っている。
まるで両方のお店の話しだが「この町の人口が半分になった気がする」と同じ言葉を聞いた。
駅前のお店もこの間久しぶりに仲間と行ったが我々だけであった。深刻な波が来ているなあと
考えざるをえない。私の業種でも3割はにっちもさっちも行かないでいるとの統計が出ている。
特に我々の業種では古い体質がこびり付いていて見通しがたたない。事故もありえるインプラントに走っているのも危惧だ。


街中の商店も本当に大変そうだ。個性豊かな店作りが必要だと思う。大きな投資をしないまでも 挨拶、笑顔から取り組むことが大切だと思う。


11月5日(水)
家で15年飼っていた犬(ポチ)が忽然と消えた。毎朝、足が弱っていたポチを放し歩かせた後小屋に戻したのだが そのまま首輪とひもを結んだはずだったがいなくなった。耳と目が加齢でほとんどだめになっていて戻ることは無理な状態だ。鼻も匂いをかぐことも出来なかったゆえ「この夏は越せるのか?この冬は越せるのか?」と心配していた矢先だった。周囲1キロくらい2日間探し回ったがみつからない。あの身体では家に帰ることは不可能だ。神隠しにあったようでもある。もう一匹の犬(ハナコ)も食事を食べなくなり落胆しているようだ。


ホトケさんのHPに伸ちゃんのことが 初めて書かれた。しかし書けないことへのお詫びだった。喪失感は本当に深いのだろうと察する。今月22日23日と北関東ツアーにご一緒するが
その時話をしたいと思っている。我が家にも泊まる。庭の菊も散らないでいて欲しい。


11月4日(火)
噂話は怖いものだ。先日の法事で家内が ある人から私の病気を曲解して家内に話しひどく傷ついた。私は実際人から伝わる噂話は腹に収める。もし心配事なら本人に直接確かめる。


昨日はトンボ公園事務局長をしている遠藤さんが主催している「くるみ」のバザーに出かけた。
大勢の方が集り盛況であった。是非多くの方がこのデイサービスを行っているNPO介護施設
「くるみ」を利用して欲しい・暖かいスタッフが揃っています。私も認知症になったらここにお世話になりたい。


11月3日(月)
昨日は久しぶりに寄居街中の秋祭りに出かけた。FUKUOちゃんの奥さんの「キエレ」(フラダンス)を観に出かけた。凄く素敵だった。そして久しぶりに洗濯船(このHPのお気に入りのお店をクリックしてください。私も普段通っているお店ばかりです)でコーヒーを飲んだ。秋は釣瓶落としで寒くなり早く家に戻った。SUPERおやGバンドの皆さんごめんなさい。それにしても久しぶりにこのお祭りのライブを見たが真ちゃんが堂々と演奏していて驚いた。60歳になってバンド人生を走るようだ。


風邪が孫から始まり家族に広がり始めた。私も鼻水が止まらない。声も今ひとつになってしまった。しばらくはプールもお休み。家の中でストレッチと暖かい日中に散歩かなぁ。
高田渡氏の旅の記録・上巻のCDを聴きながら最近は眠りにつく。あの渡氏の語りとしては
ベストライブ(何と今50000円)のほうが好きだが旅の演奏で渡氏の違うバージョンが聴けて面白い。


11月1日(土)
最近いしかわじゅん氏の本を読み女性漫画家の本に嵌っている。特に岡崎京子さんの漫画に
は驚かされた。へルタースケルターこの漫画は凄い。パワーがありぐいぐい引き込まれる。


今日は叔父の49日の法要だ。偲ぶ席で唄を頼まれているが、いろいろ考えてしまった。
お世話になった叔父ゆえ心を込めて歌いたいが・・・・。「海辺の恋」この曲を選んだ。
叔父夫婦は本当に仲が良かった。二人はまるで少年少女のようであった。この唄は佐藤春夫の詩であり私の青春の唄でもある。捧げたい。


10月31日(金)
You Tubeは多くの人に出会える。またLiveの映像も観られる。Shibaさんがblogで「夕焼け楽団」のYouTubeで一度だけの再結成の画像を紹介してくれたので早速観た。いやぁ
何とも言えない。。感動!!NetサーフィンでなくYouTubeサーフィンを毎日楽しんでいる。
ここで中島らもさんの画像を中島らものコピー塾を観てください。牛のようにのったり喋るらもさんがみられます。検索すれば吾妻光良氏,長見順さんのLive・・・・manymany.。


私の周りでも急な出来事が起こっている。全ての「いのち」が光り輝かされますように。(ガンジーサチャグラより)


10月30日(木)
昨夜は 友達と家内とで本当に久しぶりにホンキートンクのLIVEに出かけた。「上田正樹&有山じゅんじ」いいLIVEだった。そして多くの仲間と会え楽しい一夜だった。ただJIROKICHIでは ホトケさんがツアーから帰りblues.the-butcher-590213のLIVEがありこころは何かひっかるものがあった。WestRoad BBとSouth・to・Southこの2つのバンドを昔東京で何度か観たことを思い出した。そこの2つのバンドのメンバーで始めて一人のミュージシャンー塩次伸二氏が逝ってしまったんだなぁと落ち込んだ気分になってしまった。本当に悲しい。寄居に戻り荒川団のメンバーと話し皆で伸ちゃんのことを偲んだ。そして来月寄居「オリオン」で共演するとき、ホトケさんに何て話しかけたらいいのだろうと・・・・・。ホトケさんのHPは更新されていない。もちろん伸ちゃんの葬儀の後すぐツアーを行ったから更新出来ないのは分かっている。そして追悼の言葉を読むのも辛い。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)作者の略歴や私の病気などにこのごろよくこれからいろいろ調べられる。Linkの永島慎二先生もそれから引用させてもらった。赤字、青字のところをクリックするとどこまでも広がっていく。


10月29日(水)
Linkをいくつか追加しました。私の大好きなバンド吾妻光良&スインギングバッパーズなど。
昨日は温泉のあるプールに行った。1昨日は流れるプールゆえ1時間半も歩けたのだろう。
流れがないプールでの歩く抵抗力は大きいと実感した。この温泉のあるプールはプールの水の温度が少し高く寒くならない。途中で平泳ぎ、クロールで泳いだりした。コース別に歩くコース・泳ぐコースと分かれているが泳ぐコースに入るとえらい目にあう。泳ぐのが命という人がどんどん泳いできて必死に逃げるように焦って泳いでしまう。まして昨日は足を踏まれたので 頭に来た。こんなにお年寄りやリハビリに来ている人がいるのに、君は他のプールへ行ってくれと言いたくなった。温泉は気持ちよかった。清掃も行き届いていてきれいだ。水、温泉の管理もいい。


しかしリハビリと言う言葉は受けてしまった病気に対し、元に戻るのではなく前向きにこころを向けることだと思った。不自由な身体(私は軽かったが)が元に戻るのではない。歩けるだろうと思われる人はリハビリで歩けるようにある程度はなるだろう。しかし身体を戻らない。私の痺れ重さも取れるのではなくそれに対する耐える身体を作ることが大切と痛感した。それにしても何かの事情で片足を切断した人もいてその人もプールで泳いでいる。頭が下がる。水の中はその人にとって本当に楽しいものなのだろう。


10月28日(火)
快晴の日だ。ホトケさんもツアーが終わり今月は29日のJIROKICHIとなる。先日から私の
HPのホトケさんのコンテンツに付け加えようと思ったが、上手く行かない。そこでわたしの
blogBLUES POWER&blues.the-butcher-590213に書きました。覗いてみて下さい。


昨日は午後深谷のプールで1時間半歩いた。途中で益々気持ちよくなりもっともっとと気持ちが急いたが プールから上った。水中ウオーキングがこんなに気持ちが良いとは思わなかった。いつもは時計ばかり見てあと何分やらなければならないかなぁと義務感みたいなものがあったが。夜は仲間と家内で集り3時間も喋った。こんな時間も実にいいものだ。 


10月27日(月)
伸ちゃんが亡くなり沢山の方がこのHPに訪れている。また古い友人もメールを寄こしてくれる。皆、「トリさん気落ちしないで」と言ってくれる。私が1995年日比谷野音でエンドレスブギ
95をプロデュースしたくらいWest Road BluesBandの熱烈なフリークなのを知っているからだ。ここ寄居にも来ていただいた私の大好きな女性ソウルシンガーLEOさんが追悼の言葉を述べている伸ちゃん音雑感の所に書かれている。是非お読み下さい。(ここをクリックしてね)ミュージシャンも多くの方が気落ちしている。昨日朋友山岸氏と作った「TogetherAgain
BluesinNewOrleans」を一日中聴いた。素晴らしいCDだ。躍動感があり二人の掛け合いが素晴らしい。是非、聴いてください。Amazonなどで購入出来ます。


10月26日(日)
冷たい雨がようやく止み今朝も陽射しは出ていない。午後からは晴れるということだが。
伸ちゃんが亡くなった日は妹尾さんとのDUOライブの前だった。その後妹尾さんも京都で交通事故にあい・・・10月18日と妹尾さんの交通事故にて詳細が書かれています。クリックしてお読み下さい。  男の本厄は42歳頃だが60歳前後にもまるであるかのような出来事が続く。私の父も58歳でこの世を去った。私自身病と共にこれから生きていく。病は本人への警鈴であると思う。しかし怯えていてばかりではだめだ。気が萎えてはだめだ。凛として病と共に生きていく。伸ちゃんは病を抱えながらの音楽活動に 立ち上がっていた。それゆえ、残念でしかたがない。

歩くこと。減量。節酒(ほとんど飲んでいないが)好きなことを多く持つこと。仕事を年齢に応じて続けること。私のそんな日々だ。身体の左側は 相変わらず重いし手も痺れがあるがギター
を弾くことの楽しさもリハビリである。無理はしない。
先日トンボの作業に出かけたが、仲間に会い作業を私なりに出来たことは とても嬉しかった。トンボ公園からエネルギーを頂いたようだ。そして日々の仕事の中で患者さんに労いの言葉をいただいていることも24年続けていて歓びとして頂いている。



10月25日(土)
伸ちゃんが亡くなりじわじわとボディーブローを受けたようにその存在が腹に染み渡ってくる。
ホトケさんは今名古屋から岐阜へのBluesツアー中だ。心境を考えると辛い。伸ちゃんの
公式HPに塩次伸二さんを偲ぶ掲示板がある。そこには全国からファンの皆さんの思い想いで
が書き込まれている。その中で1995年私がプロデュ-スした日比谷野音のコンサートで初めてWestRoadBBに出会った方がいた。あのコンサートはWestRoadBBを日比谷野音で観たいという気持ちから発したコンサートだったが、13年経った今このコンサートで伸ちゃん
WestRoadBBに出会ったと聞きそのコンサートの素晴らしさを書いていただくとやった甲斐もある。伸ちゃんの御通夜、葬儀の時このコンサートをディレクターをしてくれた大阪の津田さんに泊まるホテル(伸ちゃんが倒れたホテルーホトケさんに教えていただいた)のフロントで13年ぶりに再会したのも、伸ちゃんが導いてくれたようだ。又葬儀の朝、朝食のレストランでホトケさん、津田さんと共にしたのも約束したわけではないのに 何かの縁を感じた。嗚呼BluesGuitarMaster伸ちゃん残念だが多くのミュージシャン、ファンを見守って下さい。
そしてあの世で多くのBluesMasterたちとギグを思いっきりやって下さい。


10月22日(水)
塩次伸ちゃんの御通夜告別式そして出棺を見送りに佐野市に行ってきました。今、何ともいえません。永井"ホトケ”隆氏が後でお気持ちをHP上で書かれると思います。弔辞も友人代表としてホトケさんでした。読まれてください。
ただ言えるのは 私にとってWESTROADB.Bは青春であり今もときめく最も愛するバンドであり伸ちゃんを欠く事はありえない事実です。ご冥福を祈ります。


10月19日(日)20日(月)
日本一のBlues Guitarlist塩次伸二さんが、急逝されました。
栃木県佐野市のツアー前に泊まるホテルの前で、倒れられ救急の処置も間に合わず亡くなられました。当地で御通夜 告別式が行われます。ファンの方で行ける方は行ってください。
&御通夜10月20日(月)午後6時から午後7時まで
&本葬  10月21日(火)午前9時から午前10時まで出棺午前10時30分
&両日ともJA佐野セレモニーホール佐野東 栃木県佐野市富岡町184-1
TEL028-327-2721
統括事業所:こすもす佐野 TEL028-324-2960 FAX028-324-7835
尚、10月23日京都北山MOJO WESTにてお別れ会があります。


伸ちゃんは1989年ホンキートンク(皆野)でプロデュースしてから何かにつれ会えば挨拶したり話しこんだりしたこともある。気さくな方でいろんな話をした。最後に呼んで演奏をお願いしたのは2002年「さち庵」でホトケさんとDUOをお願いし光栄にもOAをLOVEBONEがやらせてもらった。そのときも風邪から心臓が弱っていて大変辛そうだった。しかし演奏はお客さんを唸らせるPlayだった。その後入院し、ホトケさんから伸ちゃんの状況を聞いたりしていた。ホトケさんとの昨日(19日)の話しでは、いつもはライブの取り決めなどはしない方だったのだが 9月のWESTROADまたJIROKICHIでの山岸氏とのセッションなど精力的にまとめていらしたそうだ。その時は心臓も大分良い状態だったとのことだが・・・・何てこう訃報が多いのだ。まして伸ちゃんが。。BluesGuitarMasterが逝ってしまったのだ。


10月17日(金)
昨日Ryo から久しぶりの電話があった。嬉しかった。私のことを心配してくれてのことだが、
話の中で以前一緒にバンドやったH君の健康状態が悪いとの報告も受け愕然とした。良くなっていけばいいが・・・。


今日は愛犬と一緒に1年ぶりに散歩した。遠くまで行けなかったけど良い汗をかいた。足が本当に弱くなっている。毎日の日課に取り入れようと思う。そして何故急に散歩を始めたかというと昨日行った病院の先生に勧められたからだ。この先生は希望をもたらせてくれる。医療は
まず患者さんに希望を与えることが何より大切だ。自分自身も良い勉強になる。


10月15日(水)
昨日までの寒さは後遺症を揺さぶり身体が重くなってしまった。しかし今日のような秋晴れだと身体も動かすことが 楽になる。午前の仕事を終え畑に行く。大根の芽が大分育ってきた。
家内が綺麗に草取りをしてくれているので、今年の冬、来年の春の収穫が楽しみだ。私はもっぱら肥料をこまめに与えている。身体の症状は早く落ち着いて欲しい。



10月8日(水)
今日は整体をしてもらいに東京に行ってきた。この3日間の身体のことを話しやっていただいた。K先生の話は沁み込む様に心に入ってくる。身体の力を抜くこと、痛いと感じるのは生きている証ゆえ怖がらずに思うこと。身体の軸を意識しその軸が天に引っ張られる感覚を持つ事。
重さは歪んでいると特に感じることなど教わり治療していただいた。また胸郭を開くことは落ち込むことに対し防御になることも教えてもらった。身体と心は対になってこそ輝いていく。こころばかりが先行してそれであっぷあっぷしてしまうこともよくある。身体を通してこころを観ることも、大切なのだろう。家内と月2,3回の東京(整体を兼ねて)への小旅行は楽しい。今日は帰り道高円寺に寄り久しぶりのこの街を歩き美味しくてそれも安い中華を食べた。このお店は五郎ちゃんと随分前に来たことがあったが雰囲気も何も変わっていなかった。JIROKICHIは
昼間は静かな世界だが輝いていた。出演者も相変わらず凄いミュージシャンばかりだ。


10月7日(火)
リハビリの仕方が間違っていたのかどうか・・・5歩後退。昨日は 何も出来なかった。
1日落ち込む。


10月3日(金)
最近特に好むものは お豆腐である。外で食べることはほとんどなくなった今、暑くても涼しくなっても湯豆腐を好む。幸いにも近くに美味しいお豆腐屋さん(実は親戚)があるので ボール
を持って木綿豆腐を買いにいく。そしてその日その日の味の違いも分かり、日々の味を比べたりしながら食べている。この街も2軒くらいになってしまった。世代交代する技術の難しさ。
従兄弟も大いに頑張って美味しい豆腐を作り続けて欲しい


映画「あかね空」京都で修行したお豆腐さんの主人公が 江戸でお店を開く。味わいのある映画だった。ついこの間お稲荷さんに干瓢を帯状に巻いたのを食べたが、実に美味しかった。


野球のバットで素振りをするようになった。リハビリに実にいい。左側が伸びるのが良く分かる。ゴルフのクラブも言いのだが、毎日練習場に行くには お金が掛かりすぎるので 素振りでも充分だ。それと腹筋はここ2ヶ月間毎日やっている。



10月1日(水)
この気温の変化に驚いてしまう。寒くて仕方がない。吾妻ひでお氏の「うつうつひでお日記その後」が出された。58歳になる著者だが 贅沢はせず平穏な日々を送っている。
風邪をひかないように注意してください。


9月25、26日(木、金)
ギャグ漫画家のたどっていく人生は それこそジェットコースターのような売れっ子と落ちるだけ落ちていく浮き沈みがある。吾妻ひでお氏の「失踪日記」「うつうつひでお日記」「逃亡日記」
を読むとその凄さに驚く。昔、少年チャンピオンで「がぎデカ」「マカロニほうれん荘」など
高校時代良く笑って読んでいる友達がいた。私はそのギャグの漫画は好んで読まなかったが。。 


しかし、オリジナルのギャグを考えることは 相当な試練とエネルギーが必要だ。今、山上氏は金沢で小説も書いている。鴨川氏は何をしているのだろうか?先日ギャグ漫画のパイオニア赤塚不二夫氏がお亡くなりになったが 赤塚氏の作品は小学校の頃本当によく読んで「シェー」と言いながらプール、川に飛び込んだことを思い出す。晩年、赤塚氏は ほとんどアルコールの世界にいたが30年40年と疾走すること。この3冊の本を繰り返し読み過酷な世界に驚く。
それは、出版社の切り捨ても 売れるために作者に対しての扱い方も凄い。あの手塚治虫氏の「ブラックジャック」も出版社に ネーミングをチェックされ切られた事も吾妻氏の本に書かれている。


20年肉体的にも精神的にも 仲間と共に注ぎ込んだ「トンボ公園」が大きな岐路に立っている。しかし我々にとってのこの年月は 私の誇りです。



9月17日(水)
叔父が天に召されました。とてもやさしい人で私の家族全員 本当にお世話になりました。
「叔父ちゃん 本当にありがとうございました。そして病気との闘いお疲れ様でした。」


私自身のことで僭越ですが このセレモニーに身体が付いていけるか心配しました。この身体は今の現実の自分であり片側の重さは私自身の集積です。そして今までと同じペースで行ったらもっと辛い身体になっていたと思います。病はやはり教えてくれます。この身体を悲観せず、この体そして心と共にこれからは生きて行くのが大切なのだろう。。


9月5日(金)
若い娘夫婦は本当に良く勉強している。この転換期を迎えた歯科界に対し挑戦しようとしている。その姿勢は頼もしいし私にとって幸せなことだとつくづく思う。昨日は鍼治療だったが 私の病気もこのくらいにすんだのは幸運だったと改めて先生に言われた。今、私の出来ることを
やっていくのが精神的にも安定するとのだと思った。生かされた命大切にしていかなければ
ならない。


9月4日(木)
身体が治り職場に復帰する人の話は聞く。職場を若い人に任せたのだから私が出来ることは
するにしても口を挟むようなことは 決してしたくない。会社で言えば相談役ということか。
遅々として改善しない身体。耐え抜く心も限界に来ている。第2の人生と言われても 戸惑うばかりだ。見つけ出すことは 容易でないなあ。有り余る時間との戦い。耐え抜く心。投げ出すことは もちろんしないが。眠りに逃避することもある。


9月1日(月)
毎日静にリハビリ。腹筋と背筋そして左側の腕のリハビリ。子供達の夏休みが終わったので
プールでのリハビリ開始。ゆっくりと、焦らずに。


8月26日(火)
らも氏 曰く「いまある自分というのは 集積なんです。なるべくしてこうなった」 


8月24日(日)
何ともいえない嬉しい夢を見た。都内のある場所でホトケさんと会い 親しく話しそこに
MUDDYが現れてきた夢だった。嬉しくて起きてしまったくらいだ。Manish BoyをMADDYと唄ったのだ。興奮と涙で一杯だった。何て幸せな夢だったろう。11月に「オリオン」にホトケさんが演奏します。


8月22日(金)
歯科医院のHPを更新しました。私も薄側を剥ぐように良くなり(かなり手強い病気ですが)
毎日午前中仕事場にいます。新しく清水敬先生清水佳代子先生が加わりましたので、宜しくお願いします。


8月6日(水)
この病気は 治ったらこれをしたいとか治ったらこんなものを食べたいとかいうものではなさそうだ。この病気と共に人生を新たに創っていくことなのだ。今の自分を焦らず前向きにやっていくこと。常に病気を考え一つ一つ進むことだ。楽しいことは一杯あったしこれからもあると
希望を持って生活していきたい。


今日は叔父の手術の日。無事に成功に終わることを 祈っている。


8月5日(火)
今日は鍼治療に行ってきた。田端先生の治療を受けて10年は越す。鍼を打ってもらう感覚が
数ヶ月前に比べ 変わってきた。脳梗塞直後は打ってもらった左側は 自分の身体と違うように感じていた。自分の身体がその頃は固い軟体のような感じで 鍼を打たれるとき自分の身体に打たれた感じがしなかった。しかし最近は以前のような柔らかな皮膚に打たれる感覚に戻ってきた。それにしても30代で視力を失い発起し鍼灸師になった先生も75歳だ。そして今
も現役だ。私も仕事に復帰したい。


治療後この病気になり久しぶりに 母のところへ行った。自分のことを母に心配かけたくない気持ちと母の所に通える身体ではなかったのが現状だった。母は変わらない状況だが 声を掛けるとその都度頷いていた。母は静に佇んでいる。もうすぐ3年になる。友人の医師に「君の脳梗塞の部位を考えると、君の症状とお母さんの症状が逆転してもありゆることだったんだよ」と言われた。母の病室の方がたは全員女性の方々で 痩せていらっしゃる。しかし片側の麻痺を起こしている。私がこの程度の後遺症ですんだ事は 何かに守られたのかもしれない。
脳幹部の麻痺は命さえ失うことがある。


8月4日(月)
本当に毎日暑い。晴れ間が見えないため夏らしくない。今日は頑張って午前中2つの病院に
行ってきた。脳のほうは前回撮ったMRIの結果の説明を受けた。今回はっきりと梗塞した部分(橋)の部分を確認した。ここは橋 (脳)はふくらみを帯びた形状で、小脳と接続する。脳神経として三叉神経外転神経顔面神経聴神経を出す。ただ私を困らせている症状は調べても
分からない。どなたか分かる方教えて欲しい。


脳神経外科の先生が言うには「MRIでしっかり痕跡として出てきたのでこの部分が悪くなることはないでしょう。」と言うことだった。まずは安心したが強張る症状に対しやはりストレッチなど毎日繰り返して行わなければ ならない。もう一つの病院は血圧の薬だ。1月ごとに貰っていて今日は142/74とまずまずの値だった。お二人の先生は、しっかり説明をしてくれるので信頼している。



7月30日(水)
鉛がぐるぐる回りながら 私の頭の上に降りてきた


厄介な奴が 又来たのかと 私は 眉間に皺を寄せた


畳に首から上が 押し付けられ私の顔の形が 畳に出来た


後退するエネルギー 繋ぐエネルギーにほとほと疲れ果てたためか・・・


ぼんやりと熱いコーヒーを啜り こいつをどうしたものかと溜息をついた


ふと見回すと 誰一人居なくなっていた そうか自分の影と話をしていたんだ


今回は左半分重たい自分を引きずって 時が過ぎるのを 待つとしようか


7月28日(月)
娘夫婦が引越をし、仕事への体制がようやく整ってきた。来週からは(月曜日はお休み)平常通りの診療時間になる。私も少しずつだが仕事を始めた。土曜日の午前中10名近くの患者さんを診たが 疲れなどは一月前に比べると半減してきた。しかし油断していかなければならない。完治する病気でないゆえ無理は出来ない。リハビリをしつつ 以前の自分を変え仕事をしていきたい。


7月26日(土)
先日家の中で、熱中症に罹った。東京から整体の帰り2階に上がり一休みと思ったら何と部屋の温度が40度を越していた。その熱が身体の中に入り込み夜中悪寒が走り 家族のものに
氷枕やら冷やすものを用意してもらった。体温は39度あり 私の場合脳梗塞の再発があるため薬と水をとにかく身体に入れた。寝ているところは2階ほどでもないがその暑さと身体の暑さで参ってしまった。「もうだめだな」と諦めの気持ちも出てしまった。口の中に頬張る氷に救われた。一滴の水ではなく一欠けらの氷だった。友達も野外ライブでの 飲みすぎには注意をして欲しい。またこの暑い中ゴルフに夢中になっている友達も 熱中症には 充分気をつけて欲しい。そんな年なのだから。



7月25日(金)
「中島らも」私はらもさんの著作は全て持っている。それはこのうえないほど好きだからだ。破滅的に生涯を終えてしまったらもさんだがエッセイにしろ小説にしろ本当に味わい深い。読むたびに新鮮で発見がある。この類稀なる才能を持つらもさんが最後はROCKERとして死んだことは 本望だろう。それが三上寛氏のライブの後階段から落ちたことはなんと言って言いか。三上寛氏も大好きな芸術家だ。。是非作品を読んで らもさんに触れて欲しい。


7月21日(月)
自暴自棄にならないよう諌めている。身体の方は 毎日のストレッチと週に3度くらいのプールで亀のごとく繰り返し行っている。長旅からの疲れは後退はしたがお付き合いの面では前進だ。(しかし索漠たる私の思いは救いようがない)
音楽から離れてしまった孤独感は切ないが まずは身体からと思って悪い方に考えないようにしている。


萩原朔太郎の詩が心に染み入る。ここにこの人は居たのだ。



7月16日(水)
やはり脳梗塞という病気の重さを自分で知るべきなようだ。同じ生活(病気前)を症状が少し良くなったと焦って望んでも繰り返し起こす危険性は充分ある。幸いにも何とか生活できるように子供達が継いでくれているのだから 今はいらいらせずに再発が起きないように生活をするしかない。仕事は やはり戻りたい。情熱を傾けた患者さんをもう一度診たい。しかし今度倒れれば迷惑もかけるし取り返しの付かない事態に なってしまうことも充分考えられる。
ぼっとしている時 自分はいったいどれだけの仕事をしてきたのかと思うこともある。
寂しい夕暮れである。


7月14日(月)
仙台に甥っ子の結婚式で行って来た。先週くらいから身体の調子が少し戻りまた義理の姉の気遣いが暖かく意を決して出かけた。出かけることは身体を使うしいいリハビリになる。
普段歩かないほど歩きバスの中では左手を荷物棚にぶら下げて伸ばしていた。家内の兄弟姉妹は本当に仲が良く暖かい。甥っ子姪っ子が9人ものいてその都度兄弟姉妹で心いくほどのお祝いをする。また義理の母の私への心遣いは涙が出る。結婚式は甥っ子の友人花嫁さんの友人に祝福され良いものであった。義兄も義姉もほっとしたことだろう。


7月12日(土)
行けるかどうか心配していたが 家内の親戚の結婚式に仙台まで行くことにした。というのも
今週始めの状態では身体が締め付けられ動ける状態ではなく 諦めもしていた。しかしこの3日前から徐々に少し動けるようになり身体が楽になった。それと口の感触が大分戻ってきた。
これは 非常に嬉しいことだ。食べても味がするのだ。一つ一つ改善に向かえばいいと心底
願っている。愛犬はなこが手術で入院することになり別れる時スガって心配そうな顔をしていた。


7月9日(水)
ここ数週間身体全体特に背中から左側にかけて とてつもない力で締め付けられる状態だった。この状態だと少し動くのも大変で じっと耐えているしかなかった。主治医または友達の医師にきいても この締め付けを治す薬等はないとのことだので 絶望感に打ちひしがれていた。運動はしなくてはいけないと言われてもこの締め付けを動かすのは、並大抵のことではない。プールの中だけは軽くなるのだが そこまで行きつけない。麻痺が起こったわけではないので恵まれていると言われても・・・・・・。憂鬱にもなるし死にたくもなる。
いったいいつになったら 身体が動くのだろう。



7月6日(日)
友達に携帯メールでメッセージを送っている。皆、真剣に答えてくれる。愚痴みたいのも一杯送った。 そんな夜この程度に済んだことに対し感謝しなさいという友達が居た。力が抜けてきた。今までの自分ではいられない世界を受け入れなければと思った。すうっと力を抜いて。


男衾トンボの里公園に蛍が舞っていると報告があった。是非行ってみたい。まだ梅雨なんだな。


7月4日(金)
自分の身体・心にとんでもないことが 起きている。唖然とし呆然としている。

ページトップへ戻る