2007年 1月〜6月
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6月30日(土)
昨日オリオンのマスターと話をしたら 先週の我々の演奏後 打ち上げは朝の4時まで 続いたとの事。いやあ 若いと驚いた。私にしてもドミナントの仲間と2時頃までDVDを観ていたのだから同じことか。さすがに2時間強のライブ演奏の後は しばらくは休憩したくなるが 昨日は バンドのメンバーに7月の曲のメニューを送った。2週間後リハが始まるが その時にはメンバー全員音が 出来上がってくる。ホトケさんの北関東ツアーが決まった。10月27日にオリオンで行う。ホトケさんの前に 我々が演奏する。翌日高崎では ホトケさん久しぶりにバンドで演奏する。ホリケンさんの希望が叶ったと言うことか。


ジャガイモの掘り出しを 孫とやる。大きいのやら親指の爪くらいのやら沢山収穫が出来た。
孫は面白かったのか昨日は 友達ともう残っていないと思う畑に行き 幾つか掘り出した。
ナスもキュウリも順調だ。とうもろこしもすくすくと育っている。


メールの功罪:携帯メールは便利だが 言葉がどのようにも捉えられることがあるため 相手を怒らしてしまうことがある。また困惑させられてしまうことがある。用件などは簡潔でいいが
希望などの感情を含む場合 まずい。携帯メールでしか連絡が出来ない子もいるが やはり電話で対峙してきちんと伝えることが大切だ。私も被害を被ったよ、まったく。


池波正太郎:池波正太郎の映画の本を引っ張り出し読んだら止まらなくなってしまった。戦前の浅草の映画館の写真など夢中になる。池波氏を映画の世界に 連れて行った伯母さんの話などこれまた面白い。語録もすっきりしていて良いし 纏め上げた編集者も池波氏の記憶力と
テンポのある話し振りに驚いている。私も無類の映画好きだが 本当に映画は良い。今はツタヤから悪名シリーズを借りて観ている。勝新太郎、田宮二郎のコンビ。河内弁が飛び交いドラムの五郎ちゃんを思い出す。


その本の中でアメリカ映画とヨーロッパ映画との文化の違い、また日本文化は世界に冠たる文化だと池波氏は語る。その通りである。第2次世界大戦前と後では映画にもたらす影響が大きく違ってくる。アメリカは戦前はヨーロッパに負いを感じていていたのも歴史の長さからゆえば
当然だ。そして戦争戦争で明け暮れる現在のアメリカ。それに追従しようしようとして 文化を置き去りにしていく日本。この先アメリカ指導のもと日本はどこに行くのだろうか。



6月24日(日)
昨日のライブは お客さんが大いに盛り上がり演奏している我々も気持ちよく演奏出来た。
バンド仲間の友達 そして昔からお世話になっている先輩 その上にマスターまで打ち上げに来ていただき
 楽しい夜だった。最近身体の変調があり特に坐骨神経痛には悩まされていたが 皆の楽しそうな気持ちに支えられ2時間たっぷり演奏出来た。ほんとうにありがとうございました。



6月22日(金)
朝 何となく重たい気分になるのは どうしてなのか。汗びっしょりの身体をシャワーで洗い流し空を見上げる。今夜からは 梅雨が戻りそうだ。早く注文したウエダーを来て 川での鮎釣りに行きたいものだ。
スコアーをつけないゴルフ これで良いと思っている。友達夫婦とのゴルフ、家内も笑いっぱなしだった。



6月18日(月)
週末再度の鍼治療を土曜日に受け 大分背骨の痛みは軽減した。頭もすっきりした感じがする。先生には本当に感謝している。
先週の土曜日「オリオン」でのライブJazzDayに飛び入りで一曲『Summer Time』を唄った。
若いミュージシャンばかりで特にリーダー辺見氏の鋭い目が印象に残った。私の唄 リハもないのでま、あんなものだろう。その後 仲の良い荒川団と『NEW金太郎』で合流。「暖」が無くなってしまった分けだが これはちと淋しい。一人静に流れるBluesを聴きながらのスペースが無くなってしまったのだから。。


日曜日末野トンボ公園モデル地区での作業。少し早めに行き3時間くらいの作業だったが 汗が流れ出た。駐車場とかもう草が伸び放題だった。休憩中信頼する平三さんと「続けていくのは 大変だけど重要だね」と語り合う。私もいろいろな会に新たに参加する気持ちは 全くない。トンボの会をライフワークとしてやっていくだけだ。事務局としての仕事も沢山ある。



6月15日(金)
梅雨に昨日から関東でも入った。多湿なる梅雨は私にとって 最も苦手の季節である。以前痛めた背骨が疼く。1昨日はムチ打ちの症状も伴い左の肩甲骨から左手と強い痛みも走った。
左に向くことが 痛くてかなわない。昨日は高校の検診HP(法人)の立ち上げの打ち合わせを終え 主治医田端先生の所に行き治療をしていただいた。今朝は大分回復したが この時期数回治療をしてもらうことになるだろう。私にとってONE ONLYの先生だ。


トマト、きゅうり、茄子の収穫がぼちぼちと始まった。新鮮なゆえとても旨い。永田農法は 無農薬ゆえその場で切り取りさっと齧っても 甘い味が口いっぱい広がる。トマトも昔の味がする


6月12日(火)
患者さんの持ってくるお薬の中から 血液非凝固剤が何て多いか。この薬のお陰で 脳梗塞心筋梗塞の予防がかなり出きる事になった。しかしワーファリンというお薬では納豆など食べられない食品も数多くある。ご注意を!!


6月8日の文章の字は 大きくなってしまった。ワードから移したためだが トンボ公園の会は
20周年を迎え再来年その記念として『市民のトンボサミット』寄居で開かれることになった。
その意味でも公園は充実していきたい。


バンドの活動も賑やかになった。後輩のバンドもあちこちに出演している。私自身どれくらい続くか冷静な面も持って行動しているが 今のLOVEBONEの音源は残してもいいと考えている。そのくらいいい出来だと思っている。冷静にみても。


ホトケさんが浅野さんの死去から立ち上がろうとしているが いろいろ構想もあったのだと思うとその落胆の気持ちが 痛いほど感じられる。今日JIROKICHIで浅野さんの追悼の演奏が 初めて行われる。多くの入りきれないほどのお客さんが集るだろう。そしてBLUES POWERの
これから売り出されようとしたグッズも販売される。Tシャツなど未音源も売られるようだ。
私も駆けつけたい気持ちで一杯だが 遠出の運転が出来ないため 無理のようだ。遠くから
ブッチャー浅野さんの冥福を祈り かつこれからのホトケさんの元気になり活動をすることを
願う。ホトケさんからツアーを続けこれからのことを見出したいとメールを貰い見守るだけだ。



6月8日(金)
トンボ公園の総会を終えて             事務局 鳥塚和弘

出来上がった東屋の下 本年度の総会が行われた。いつもながら幹事さんのみという人数だったが 出席できない幹事さんからも委任状を頂き 総会は恙無く終わった。自然を維持していくことは時代の流れにも凛としての対応が必要にもなる。各3箇所の全ての維持管理していくことは月一度の作業では 厳しい。しかし各幹事さんが草刈り機を 持って独自に行ってくれる。春から夏場にかけての 草の生え方はいきり立つ様だ。多くの街の人たちの見学があり 草だらけで荒地では みっともない。

この東屋は 去年の草刈りの時に 誰彼となく『休むところが欲しいね』という一言で始まった。炎天下での作業後 皆で昼飯を食べる時休耕田を利用しているので 木陰はないからだ。そこで去年の暮から準備をし 船頭さんが多いと分けが分からなくなるので 遠藤さん 内田さん 志村さんの3人が角材の購入、切り付けを自然館で行い 地主さんの許可を取り 男衾のトンボの里公園の広場に 建てられた。私と言えば 屋根に上った人に角材を渡したり釘を打ったり程度で周りをうろうろしただけのようなものだ。しかし本職顔負けの素晴らしい東屋が出来た。子供達がその東屋で一休みしていると地元の人に聞き嬉しい思いにもなった。


生きている時間は地球の永久の時間からすればわずかだ。今現在 地球温暖化と各国が真剣になって取り組んでいる。緑が多いということは 木が多いと言うことは 二酸化炭素を木は取り入れ酸素を 空中に 出すことであり木々の生態の素晴らしさを 改めて感心する。次の世代の子孫に残されるもの 目の前の現象だけに飛びつくことではなく生活スタイルも 自分が益々シンプルになるように 身に着けた贅を少しずつ剥いでいきたい。

工業化と農業化どちらも対立ばかりでは何も生まれない。



6月4日(月)
本当にSTOMY MONDAYな気分になることが多い。別に仕事がたいへんだと言うこともないが 毎日の黙々とした仕事ゆえ(歯科医はそうなのです)背伸びをしたり 深い呼吸をしないと もう少し頑張るぞという気力が低下してしまう時がある。まして社会保険庁の歯科界への締め付けは 如何ともしがたい。
今日も指導料にについて支払い基金と話しをしたが文章に提示しているのでそれに沿って欲しいとの一点張りだった。ふうんんだな。


竹中とかいう人物ががいたが 彼は全てアメリカ指導の改革だと親友の医師と昨晩話し合った。気づかないほど アメリカによる改革が進められている。急すぎるのである。日本の医療保険は 全ての人たちに対し平等に行っている価値があった。これからは 病気をした人達に対し切り捨ての医療になると思う。患者さんの立場に立っての意見交換を医師会歯科医師会
薬剤師会が一緒に手を取らないと20万ものの病気をした母親と同じ立場の人たちが 彷徨うことになる。「こころ」と「いのち」まで アメリカに売らなければならないのか!!
日本は!!



6月3日(日)
暑い日が続く。そして鮎の解禁だ。今日は家内の運転で秩父の釣具店にウエダーの寸法を取りに出かけた。とても感じの良いお店でした。大野原の堀口釣具店です。いよいよ今年から鮎釣りに向かう。
6月7月8月9月とどれくらいの成果が上るか楽しみだ。まずは大学の先輩に頼み込み いろいろ指南を受けながら始まる。そういいながら ウグイ用の餌も買っている。ま、いいか。店内に桜鱒の魚拓が飾られている。これもまたいいな。移り気であるな。


昨夜はトンボ公園の幹事会。いろいろ厳しい時勢だけど幹事は 黙々と進めています。
会費未納の方 今 会はお金に関して助成金が無くなり ちょと苦しんでいます。宜しくお願いする次第です。助成金も新たに申請して 頑張ります。


畑の作物が 著しく成長が早い。トマトも大きくなったし(友達に言われ今日はトマトに雨除けを作りました)ピーマンも幾つか収穫をしている。春大根(辛味大根)もとても美味しい。ソラマメスナックエンドウは 味が最高だった。いい汗を流している。




5月28日(月)
一昨日のLOVEBONEの演奏は 仲間も来てくれ大いに気持ちよく演奏が出来た。
急遽マスターのオコちゃんに頼み全曲演奏してもらった。Jazzの人なので途中での4ビートの
乗りに 我々も勉強させてもらった。また今までこの地で楽しんで演奏してきた50歳代の仲間も顔を揃え 今後の繋がりも出来たようでもある。バンドは最高だ!!何にしても『オリオン』が出来たことに
 尽きる。マスター朝比奈氏は男の中の男である!!Manish Boyだ。


昨日は映画を疲れを休めるため観た。『愛の嵐』ダーグボガードとシャーロットランブリング
素晴らしい映画だった。午後は竿を持って荒川へ。20センチ以上のウグイを釣り上げた。




5月22日(火)
「酒飲みの自己弁護」山口瞳 
もう私なんかそんなことをしている毎日だ。晩酌父が毎日していたから思うのだが 私の普通の習慣になってしまっている。さすがに32年間大酒を飲めば
身体もいかれる。肝臓のアルコールの数値γGTPが高い。背中に刺すような痛みが走る。いくら沖縄から秘伝のウコンを飲んでも限界がある。休肝とすることにした。しばらく休み酒との付き合いを考えていかなければならないと思っている。酒を気晴らしということがあるが実にそういうものであって 緊張をした仕事を終えると 気を晴らすため一杯飲みたくなる。最近は焼酎ブームゆえ先日は 鹿児島の蔵元から電話が掛かってきた。家内が取り次いだため700mlを
6本も買ってしまった。2本でいいと言ったのだが6本からと電話先の女性の声が哀願するため。休肝しているのに届くとは。


日曜日 ついに 荒川で20センチ弱の赤腹を釣り上げた。それと形のよいクキを。立ち込み(河に入って釣る事)は無理だったので オランダ釣りで少し深みに投げ釣り上げた。夕まずめに 今日もう一度行くことにしている。


5月18日(金)
釣りは幼少時の原体験によるものだと言われる。なるほどそうだと納得している。私の初めての釣りは小学校の時 岩根洞(旅館)前の釣りと荒川での屠場からの血が流れ込むところでの
赤腹(ウグイ)釣りだ。大崎紀夫氏の大分前に刊行された本を眺めていると 郷愁が身体の中に湧き上がってくる。昨夜は 畑のスナックエンドウを収穫しながら 塩茹でをしぽりぽり食べながら 一人『剣客指南」を観ていた。このドラマも何とも言いがたい郷愁が沸きあがり胸を打つ。
日本中を釣り歩きたいという衝動が起きてしまい 抑えるのが・・。その土地その場の風に
吹かれて時には車の中に眠り 温泉を巡っている大崎氏の生き方に 憧れを持つ。



5月17日(木)
今日は 息子が私の代わりに出かけてくれたので のんびりと過している。来月のオリオンでの新曲も楽しみながらメンバー全員に作れたし まこちゃんにも送れたしほっとしている。
昼小兵衛にランチを食べに孫の晴翔と家内とお嫁さんで 出かけた。大変込んでいたが 味も
上品で美味しかった。私は孫に食べさせることに終始したが とても大変だが可愛い。むしむししている天気なので 汗が吹き出る。帰りに犬の餌とCD−Rを買いにカインズホームに行ったが クーラーが掛かっていて寒くなってしまったので早々に帰る。
20日(日)トンボ公園の総会が11:30amから男衾トンボの里公園広場にて行われます。
重要な議案が目白押しですので 大勢の方ご参集ください。雨天の場合は自然館で行います。



5月12日(土)
今日トンボ公園の幹事会が行われる。大きな溜息しかでない。先日東京新聞に男衾のトンボの里公園の写真が載り 今日から行われる全国トンボサミット『赤とんぼ大会』の紹介とともに
載せられた。赤とんぼの現象は 甚だ酷いものだそうで 地球温暖化 第3国の工業化それに
稲作地域の減少など複雑な地球地域を取り巻くことから 起きている。


畑の収穫が賑やかだ。スナックエンドウ 何て美味しいか。朝方ちょっと収穫し茹でて食べる。
その美味しいこと。ソラマメは大分大きくなった。ただ実は軟らかい。京菜が今美味しい。嫁がさっと押し付けの塩味にしてくれ感謝。実に旨い。昨日は風が吹き荒れたが 茄子、ピーマン、きゅうり、枝豆 ホウレンソウみな元気だった。とうもろこしの苗も何とか頑張っている。花が咲いた後の実 花が咲くことを知らなかった家内は 毎日驚いている。それが実になることを知って。スイカ カボチャ 上手く実に成るのか楽しみだ。



5月8日(火)
ゴールデンウイークの疲れが出たのか 飲みすぎなのか、やけに身体がだるい。しかし気温も
今日の蒸し暑さは堪らない。汗が仕事中出て困る。まさかクーラーまでは点けることもないので 窓を開放し風を入れている。トン公園にいろいろな事が生じている。仲間と大きなため息をついている。いろいろ相談したいSさんは海外出張のようだ。
昼寝のない日は 考えられないが 午後も仕事に疲れが溜まってしまう。休み前から急に古い患者さんが来るようになり 忙しい日々だ。明後日は アカツキ苑での訪問診療。忙しいが 医師としての勤めを果たすだけ。


5月4日(金)
東京の思い出の場所といったら高円寺阿佐ヶ谷吉祥寺という中央線沿線だ。18歳の頃家を飛び出し住みつた頃のことは 今でも鮮明に覚えている。母親との確執から逃げることに尽きる。私にとって父はおとなしい性格だったため きちんと向き合い話すことは少なかった。しかし母からうながされたのだろうか 父は一度だけ私のアパートに泊まりに来たことがあった。いつもインスタントラーメンを食べていた私を思い 高円寺駅近くの洋食に連れて行ってくれた。パイナップルと肉のコンビは不可解の味でしかなかったが。夕食を食べ寒い冬だったので 炬燵に足をつっこみ雑魚寝の状態で泊まっていった。何しろ4畳の部屋だった。高校時代に夢中になった世界にいる私を父はどう思っていただろうか。さぞかしどう話かけていいのか戸惑っただろう。それから10年後 その父も58歳で他界し それと同時に父と同業になったのだが 母との仲は上手く行かなかった。何も言わず見ていてくれればと 歯軋りを噛んだことも 何度もあった。私の生活は同居と言う形で続いたのだから。地獄のような日もあった。しかし転機が訪れた。釣りを始めた頃のことだろうか、母と会話が出来るようになった。家に戻り15年以上も過ぎてからだ。家内は気配りが上手く母をいつもたててくれた。二人が買い物をしているとまるで本当の母娘のようだと皆に言われた。そのことは私にとってとても嬉しかった。母親と息子は 拗れるとこれほどまでの歳月が必要なのかと思った矢先母が私の旅行中倒れた。言葉を失い右半身を失ってしまった。今 母の目はこんな不肖な息子にただやさしく見つめているだけだ。
先日父の23回忌の母の写真を見たが とても安らかな気持ちでは見られない。また元気な頃の母の写真も見られない。複雑な思いだけが交差する。明日は母の元に行く。
「母さん 18歳からの3年があったからこそ 今の自分がいるし多くの仲間が友達が沢山いるんだよ」



5月3日(
5月1日から医療法人「恒歯会」を立ち上げた。ここまでの資料作成に対しCW総研の小久保さんの 働きは凄かった。息子の歯科医としての成長と娘夫婦の歯科医としての手だすけ そしてこの業界の沈滞、医療制度改革に 凛として処していくためである。私の歯科医としての恩師「片山恒夫先生」の一字を頂き地域医療に頑張って行く決意からでもある。
競争に勝つとか負けるとかではない。20年以上のこの仕事を続け恩恵を得た患者さんにより一層のお返しをするためでもある。患者さんの信頼の中でしか この仕事は続けられない。





4月30日(祝)
今回のオリオンのライブは 上村秀右(秀ちゃん)君が 加わり大いに楽しんで演奏した。私のバンドでのモットーは エモーションにそしてCoolに演奏することが大切と思っている。
お客さんの反応も交えてのことも含まれる。偏光グラスでのステージで客席が暗く見えなかったけど 声援は我々を大きく支えてくれる。BluesのCDでの強烈なやりとりはマディ,BB,
ライトニンとも凄い。。MCも今回のライブでいろいろ話したが 話そうと準備したものはない。
誰かに言わせられるそんな言葉ばかりだ。
ホトケさんのブルーズパワー発売ライブのJIROKICHIは 秀ちゃんの話だと地面が揺れたと言う。今頃ホトケさんは 浅野さんの思いとともに 唄っているのだろうな。


伯父の招きで家内と娘と3人で 仙台に行ってきた。伯父の嬉しそうな笑顔、そして大きな声での話も健在で ほっとしたし嬉しかった。娘との旅行も10数年振りだったが いろいろ話をし
楽しかった。仙台ホテルはピカ一のサービスだった。老舗は凄いな。


仙台に行く前の29日に 畑にスイカ、カボチャ、茄子、ピーマン、トマトも苗を男衾農協へ行き購入し植えた。
添え木をたて 軽く8の字に縛り成長させていく。ソラマメ スナックエンドウの収穫ももうすぐだ。


4月24日(火)
先週の土曜日からのホトケさんとのライブが行われ 大勢の方と知り合い また悲しい出来事に包まれながらでも友情を感じ入った日々だった。
高崎駅でホトケさんと16:00pmに待ち合わせる筈だったが一本早い新幹線に乗ったらしくホトケさんは30分も前に着いていた。それでは先にホテルでチェックインしてくださいと話したら
「トリちゃんに話したいことがある」とホトケさんに言われ大急ぎで高崎駅を降りホテルに向かった。そこでは秀ちゃんとも落ち合いチェックインした後ホトケさんが「
浅野祥之君が死んだ」と
告げられた。言葉もなかった。私のバッグには発売されたブルーズパワーの1stが今日のお店で売るために30枚入っていた。なんと言うことだ!!ホトケさんが淡々と看病の話から話されたが 携帯にはひっきりなしに多くの方々からのメール電話が舞い込んでいた。明日(22日)のお通夜の段取りなども伝えられていた。お店に入り マスターのホリケンさんにもその話をし 彼も言葉を失い(実は彼はホトケさんのバンドを切望していて その話を切り出す予定だった)

立ちすくんだ。しかしライブはホリケンバンド そしてホトケさん上村秀右ちゃんと繰り広げられた。私もホリケンバンドで1曲唄った。懐かしい人また新しい人にも出会え打ち上げも楽しかった。そしてホテルに戻り翌日の12時にロビーに待ち合わせた。11時頃ホトケさんから私の部屋に電話が入りレストランで軽い朝食をとっているのだけれど来られますか?というのでそこに行きいろいろな話しをした。朝刊にはスポーツ新聞に浅野さんの亡くなった事が載せられていた。
そして高崎でいろいろお世話になる池田君とともに「ろ」に行き蕎麦を堪能し 一旦我が家に来ていただき休憩し「オリオン」に向かった。リハ後ホトケさんたちは喜楽にて食事をし 私は一人残り受付の準備やら段取りなどを確認し ライブはホトケさんが浅野さんのお通夜に行くため最初に演奏と言う形をとった。鬼気迫る演奏だった。荒川団の皆もお客の席に入り声を出し盛り上げてくれた 。ここが荒川団のみんなの真骨頂だ。良い仲間だとつくづく思った。LOVE
BONEの仲間も全員来てくれた。そしてホトケさんもぎりぎりの時間の状態だったけど アンコールにも答えてくれ気分のいい演奏が出来たと私に話してくれ またオリオンの音響やりやすい空気にも触れ「トリちゃんもっと早く呼んでくれたなら ブルーズパワーで来たのに」と言う言葉が何よりもの「オリオン」への讃歌だった。オリオンを盛り上げるためいろいろなチラシを配ったりしたけど 私への自信にもなった。報われた気持ちにもなった。荒川団の演奏も気合が入りまた気分も心地よく素晴らしかった。ホトケさんがいない打ち上げだったけどよくぞここまでというくらい気分よく騒ぎ歓談した。


昨夜は一人「ブルーズパワー」のCDを掛け浅野さんの通夜をした。



4月18日(水)
LIVEご案内!!!
三寒四温で体調など崩されていませんか?
 日本Blues界のドンホトケさんの新しいバンドのCDが発売されました。
 21日の高崎でのDEFORE 22日のオリオン(寄居)での
 ホトケさんのライブの時にも 販売します。
 値段は税抜きで2600円です。また私の方にメールで
 購入を希望の方にも郵送します。このCD気迫が篭った
 Bluesの世界が繰り広げられています。凄いです。

 4/ 21 (土) 群馬高崎 De Foret /問:0273-28-0578
   永井“ホトケ”隆&上村秀右(g) 共演:ホリケンバンド
     open/19:00 start/20:00 チケット¥3,500(1ドリンク付き)

 4/ 22 (日) 埼玉寄居 オリオン /問:048-581-0166
    永井“ホトケ”隆&上村秀右(g) 共演:荒川団
    open/18:00 start/18:30 チケット¥2,500(1ドリンク付き)
連絡のメールは トリまで kazutori@proof.ocn.ne.j


4月17日(火)
母のいる世界は 認知症の方々と一緒だ。ゆえなるべく1階に下りてデイサービスを受けている人たちとの接触をお願いしている。私の周りでもいろいろな事が起きている。母のみ静に
過している。面倒をみるとあらん限りの心配と行動をする母なので 年を重なりこの4月に78歳になる。まだまだ若いですね とよく言われる。夜半母の夢をよく見る。元気に動いている母だ。如何せん言葉が出ないものか。



4月15日(日)
今日は トンボ公園の作業。朝8:00amには男衾に着き昨日の酒を何とか嗜めているうちに皆が到着ー作業が始まった。今日は東屋の屋根作り。まさか私が登って足軽に作業できるはずがないので 脚立から釘を打ったり 板を運んだりし 4時間で見る間にほぼ完成。ただ一部分の屋根の材料が足らないため少し残ってしまったが。しかし平三さん南部さん身軽でたいしたものだ。棟梁遠藤さんは 高所恐怖症なので指示をしたり板を切ったり。皆の動きは全く無駄がない。あの大きい志村くんも屋根に上がってたいしたものだ。 あとは屋根に材料を貼り完成。
これは来月に持ち越しとなった。


作業の後 折原の河原で久しぶりに釣り。釣果はなかったけど河原は実に気持ちがいい。
そしてその足で折原のトンボ公園に。大久保君の尽力によりほぼ全周囲歩ける。これまた気持ちが良い。そして家に戻り 畑の連休前後に植えるきゅうり,茄子、ピーマンの畝作り。
この畝は高さが必要なので 少し疲れたな。ジャガイモも芽が出てきたしホウレンソウもこの春は順調だ。



4月13日(金)
今週は いろいろ仕事を終え出かけることが 多かった。ゴルフのレッスン バンドのリハそして昨日は 歯科医師会の4郡市対抗のソフトの試合に4年ぶりに出かけた。いやあ疲れた。
そして筋力の衰えに唖然とした。いつもの通りキャチャーをやったが ボールがいつものように
ピッチャーに投げても届かないのである。いったいこれは何のことか?と一人考え込んでしまった。筋無力症のようである。30代前半のプレーなど見る影もなく 参ってしまった。
一塁に走るのなんて まるで漫画だった。ああああ・・・



4月8日(日)
思いもかけずトンボ公園の幹事会を終えテレビを観ていたら 友川かずきさんのライブを観ることが出来た。ゲストとして交友の人たちの話も聞け嬉かった。
今度自分の詩に唄を乗せるライブをしたいと 思う。


今日は 友達のS君が来てくれ 鯉のぼりを揚げた。いやはや念入りの基礎作りから友達は前日から 準備をしてくれそれでも 2時間以上の時間が掛かった。その後私は自然館当番に行ったのだが 帰ってくると嫁の実家から送ってくれた鯉のぼりが 気持ち良さそうに泳いでいた。その側で 春野菜「枝豆」『チャ豆」「三つ葉」「モロヘイヤ」を播種した。この種が発芽するまで 藁を敷きその下で 発芽を待つ。楽しみだ。野菜作りは本当に楽しい。


4月4日(木)
小兵衛で昨夜一人で飲み 春の肴と香りを堪能し マスター夫婦とやんわりと語り合った。帰りにウイスキーを買って帰りGeorgeのDVDを観つつ眠りに。。
日々に起こる とても嫌なこともあったりとても心配事があったりそして嬉しいことがあったり その日の夜の酒で 気晴らしを兼ね ただ一人で飲む。地球様 さようならと書かれた草野氏の詩の言葉に 深く頭を垂れる。



4月1日(日)
昨日は ベースの松村君としこたま飲んだ。仕事と家庭の狭間におけるバンドの位置づけは
子供が誕生した彼は 大変そうだ。でもLOVEBONを愛してくれるし 送った音源はきちんと聞いている。無理なくやるしかないが 私もこの1年は燃える自分をたしなめながらやって行きたい。私から音楽を取ったら 何もない。画家のヘイさんにもいつも言われる。太陽のように
トリちゃんは輝けと!!



3月31日(土)
浩ちゃんから東屋の写真が送られてきた。いやはや本職そのものです。
是非男衾トンボの里公園に来て下さい。上手く写真は入れられませんでした。



3月30日(金)
「春野菜」 何て可憐な花が咲くのだろうか。京菜 そらまめ 春大根 カブの花が淡い色で
咲いている。そらまめの白い花 菜の花のような京菜・・・半月から1月今年は 早いようだ。
イチゴの花たちは すっかり時期を終えてしまったが今度は実がなるのを 待つだけだ。
今度の日曜日には 久しぶりに釣り竿を持って荒川に行く。




3月28日(水)
今日は私の誕生日だ。50歳になった。この大台気分も何となく違う。家内が赤飯を作ってくれ
朝食に孫達と一緒にいただいた。明るく楽しくやっていこう。




3月27日(火)
スタッフの人が2人も休んでしまっている。インフルエンザということ。
今日は また冷え込み何か気分も重くなる。能登半島では思いも寄らない地震。被害にあわれた方何とも言いがたい。あの付近は 地震の警戒地区ではなく 気象庁も国もいつも言い逃れをする。ただこの国に限り国民は どこでも地震は起こることは知っている。


孫の晴翔の成長が著しい。這い這いしながら何処までも私に付いて来る。可愛くて仕方がないが危険さも増え 注意している。ママが良く物事を分かっているので 安心している。



3月23日(金)
昨日は お彼岸のお線香たてに 家内と分担して回った。私は午前中仕事だったため 近くの親戚にしか行かなかったが。このことは 母が元気だったらしていたことでもある。世代交代ということで 我々夫婦に引き継がれた。


春野菜の種まきと追い肥を行った。今は京菜が出来上がってとても美味しい。昨夜は家内が京菜を中心の野菜鍋を作ってくれた。ジャガイモの植え付けも終わり春大根 ホウレンソウも蒔いた。玉ねぎ、そらまめ、インゲン、野沢菜もぐんぐん生長している。友達から貰った藁が
最近までの寒さを凌ぐのにとても役立っている。




3月22日(木)
昨日は 家内と浅草に出かけ浅草寺をお参りし 近くのオレンジ通りにある『今半』でお昼を
娘と結婚する彼も一緒に過した。久しぶりに暖かさも戻り楽しい浅草の小旅行の気分に浸れた。お彼岸の中日のため 浅草寺をお参りする人が多く 私も家内と父のお墓参りを済ませてから熊谷からのんびりと各駅停車で向かったのだが 浅草は好きな街だ。人たちの優しさが醸し出されるのか とても良い気分になれる。


3月21日(祝)
3月21日の内容を オフロード気の世界に移しました。読んでいただければと思います。


3月20日(火)
寒い寒いと言っていたら「ど=ん」と熱が出てしまい 午後は休診となってしまった。患者さんには ご迷惑おかけしてしまったが休めという身体からのサインなのだろう。
PCを書き込むのも 頭の活性化に役立つ。しかし調子が悪い時は もたもた書いてしまう。
息子の研修も終わった。実に疲れた。
ぼんやりと最近凝っている山口瞳氏の晩年のエッセーを読む。シミジミトしてとてもいい。
山口氏が当地の京亭と泊まるだけでなくいろいろ交流をしていたことを知る。私も女将は良く知っているが 微笑ましく心温まるものがあった。


3月19日(月)
いやはや寒い。氷点下まではいかないけど 起きて すぐストーブを点け部屋を暖める。鉄筋の家は保温性がまったくなく、冬は寒いし夏は2階などは去年は38度なんて毎日だった。
昨日は 石川トンボ公園代表と末野トンボ公園モデル地区の地代の更新を行った。私にとって何回も訪れた地主さんだが 皆さんお元気でした。そしてあの頃の地主さんたちも世代交代をなされその息子さんたちもこころよく対応していただきました。どの地主さんも暖かくお茶まで頂き そしてその更新代から寄付もしていただき 感無量です。しかし末野地域も風景が大きく変わりました。橋が出来たためですが 各家の入口も分からなかった。その後自然館に戻り会報発送作業。遠藤さん平三さんがいて あずまやの作業をしていました。いやはや頭が下がる思い。
25日は上棟が可能です。二人の熱意には頭が下がります。上棟、大勢の参加をお願いします!!作業は月1回ですが とても楽しい。是非会員のみなさんお出でください。待っています。




3月17日(土)
本当に寒く感じられるこの頃だ。最低気温が2度3度と冷え込んでいる。私の睡眠時間は5時間なので 起きた時ちょうどこの最低気温の時間帯が多い。お彼岸が来週からだというのに
いたいもってどうしたことか。日本海側では雪が降り続いている。外で寝ている愛犬たちも小屋の中で丸くなっている。
来週はひさしぶりに結婚式などで 2回も東京に行く。バスを仕立てて頂いたので楽なのだが
土曜日は 一人新幹線で戻り オリオンライブの演奏に戻る。マンスリーライブも中々忙しいものだ。
祝日には 娘と彼に会いに行く。場所は大好きな浅草。浅草はとても気分がいい。六区街は復活を目指した街の人たちの熱意で蘇って来ているそうだ。そして浅草寺に行きお参りをする。
この浅草寺 東京大震災 大空襲とも焼けることなく大火を免れた。大震災の時は 境内の中から突然と風が吹き多くの逃げ込んだ人たちを救ったとも聞く。数年前大学の親友達と夜、浅草寺をバックに記念写真を撮ったのだが ほとんどの写真がクラッシュしてしまい残った写真には 白い帯が無数に走っていた。



3月16日(金)
母の施設はインフルエンザのため25日まで 訪問禁止の処置をとられている。今のところ母の状況について 連絡がないので安心しているがもう3週間にもなる。
母のことを夜半思うとき 辛くなる。モンゴルに行く前 庭でしみじみと母と会話したこと。
二人で息子の行く末を心配したことなど・・。相談できる人は今は誰もいない。孤立してしまう気分になってしまう。姉に手紙を出す。やはり息子のことだ。どうしようもない。姉も心を痛めている。まだクラブでのDJのことなどを 私の行きつけのお店で話していたと聞くと、とても悲しい。


3月15日(木)
今日は久しぶりというか 私の個人的な事情により中断していたゴルフコンペを行った。
その会の名前は SFG会という。SMILE FO Golfの略です。笑顔を持って一日Golfを楽しみましょうというコンペである。夫婦参加が原則で 半分は女性の方が楽しんでPlayしてくれた。大麻生ゴルフ場での開催は 夫婦が参加のためより安くとのモットーで県民ゴルフ場で
行う。今日は 風は余り吹かなかったけど 寒さは厳しかった。新ペリアのためスコアーのいい人が上位を占めてしまったが 次回からはハンデ戦である。是非ご夫婦共々の参加を!!
このコンペ賞品を担当するのは 家内である。面白いものを彼女は探し出す。優勝の方は
優勝おめでとうと記したケーキだった。お子様もさぞ美味しく食べていただいたと思います。女性の方々の視点でのGolf.。
様々な形のGolf。。笑顔に包まれる会は楽しい。


Golfを誘ってくれたのは 仙台に住む伯父だ。伯父は余りにも運動不足の私にこのスポーツを勧めてくれた。伯父は80歳を過ぎ このスポーツを堪能している。でも最近は 少し遠のいている。もうすぐ来る連休に家内と娘で 仙台にお邪魔する。伯父も心より歓迎するとの 手紙を頂いた。


3月14日(水)
いやはや、疲れた。息子への私なりの研修も後4日間となり 彼に教えたのは「ま、いいか」
「ま、分からなければいいや」という姿勢を正すことであった。若い人特有なのか いや彼が高校時代から培った性根を 真正面に向き合い正していっただけだ。私は、多大なるエネルギーを使って最近脳が 動きが遅くなり欝のようでもある。家内の穏やかに穏やかにと念仏のごとく口ずさむことは 母親だからなのだろう。悲しくもなる。何も解決しないからだ。一人の男として自立し家族を養っていくこと それが出来るようにと祈るようだ。この歯科の仕事は 嘘をついたら終わりだ。出来ないものをあたかも出きるように振舞うことは あ、というまに信頼を失う。
過酷だが後は本人次第である。




3月11日(日)
今日は 風が強い。その中で今日しか出来ないことを風の中で行った。それは春野菜の植え付けと土壌をEM菌を混ぜ 豊かにするためである。それとポット(ビニールの簡単な植木鉢)にピーマン 茄子を種まきしてみた。家内が 苗を定植しないので 大変驚いていたが 苗代もバカに出来ないのである。
最後の大根 カブの畑の場所を変えて植えたところ 萎れてしまい淋しい想いをしていたが、EM菌を薄め苗に追い肥を兼ねてかけたところ 鮮やかに蘇った。驚きと歓びでとてもいい気持ちになった。凄いのである。
畑つくりは元気を貰える。インゲン ソラマメ 野沢菜 春菊もピカピカに光ってきていて もうすぐ収穫だ。



3月8日(木)
母の老健病院にてインフルエンザの人が 出て面会を24時間禁止の処置をとると 連絡があった。この発症した人は 予防接種を受けたとのこと。3月に入りインフルエンザが 静に流行し始めた。この予防接種も完全ではないということの表れだ。笑止千万だ。まして母のように抵抗力が弱まった人にとって 致命傷になることもある。母はもちろん予防接種は受けている。施設も一生懸命対応しているので 任せるしかないが そもそも療養型病院から介護型老健施設に政府が 懸命に移そうとしている動きがある。療養型病院なら
医師は何名もの医師がいるが 介護型施設では医師は一人くらいだ。それは医療費抑制という命に関することを 削減のため行っているからだ。この国は本当におかしい。健康で健やかに暮らし死を自宅でと 国は叫んでいるように思われる。確かに死は唐突で各自がばらばらの状況で訪れる。自宅での死 それは望むことだが数パンセントしかない。管を注入され 本人の意思もないまま死を迎えるのが現実。父もそうであった。尊厳死 老いていくものにとって
現実は辛いものがある。若い頃青春もあり 輝く人生もあったのだが死は そういうものなのだろう。


3月5日(月)
昨日は 父の23回忌を行った。父の兄弟母の兄弟そして姉夫婦に来て頂いた。そして母を
施設から連れて来た。喜楽さんのお弁当にした料理を 我が家で皆さんに堪能していただき 恙無く終了。そして今日が父の命日である。もう24年過ぎたのか。振り返ることなく仕事、生活と歩いて来た。一日一日が精一杯だったのか それさえも分からない。孫を抱きながらの法要。夢のごときでもある。ただ失語してしまった母が 現実にいる。母の回復を待つのみだが、穏やかな世界に母のみいる気がする。母との今の関係は切ないが 今まで以上の暖かい関係になっている。無限に与えてもらった愛を 少しづつ返している日々だ。


土曜日にトンボ公園の幹事会があった。今年も自然館の4月からのオープンに向け 活動が本格化する。やれるべき事をきちんとやるスタンスの仲間との会議はいつも清々しい。


3月2日(金)
昨日は あかつき苑での訪問診療 午後は母の介護のサービスの打ち合わせに出かけた。
認知症の患者さんが多いのだが 何とか噛めることを各入居者にお手伝いしたい。
しかし大変なテクニックが必要だ。我々にとってこの仕事のためにも 技術の研賛が必要。
患者さんが 減ったからと言って訪問診療をさせてくれという無知なテクニックもない人が実際にいる。技術もないのだから来ないのに あの現場で何が出来ようか!!とんでもない話である。


母は 多くの認知症の患者さんと共にいる。この介護型老健施設は2階建てだが 2階は殆どの方が認知症だ。昨日も母を介護師の人が トイレに連れて行ってくれているとき、ベンチで待って居たのだが それは品のいい女性が隣に座っていた。とても身なりもオシャレで品のよさは凄い。時々私に話しかけるのだが 何を言っているのか分からなかった。ただ眼は澄んで
笑いかけもおっとりしていた。人間の年を老いることの現実。誰でもある。自分だけはと思っても 待っている現実がある。
母はトイレに行きたいと教えてくれるようになった。




2月26日(月)
オリオンでの第1回目のライブが終了した。40名近いお客さんに来ていただき 感謝の気持ちで一杯だ。やはり地元で演奏することは 心暖まるものがありとてもいいものだ。マスターの
有名なミュージシャンを呼んで無理をすることなく 地元の頑張っているミュージシャンを応援したいという意志がなんと言っても 嬉しい限りだ。この状況は 去年の暮まで思いもしなかった。
マスター自身が都内やら地方の都市で演奏を続け 年も重なりそろそろ出かけるより好きな音を出すライブハウスを作りたいと思っていた。そのマスターの気持ちが 仲間に伝わり 地元で幅広い活躍をしている同級生の柴崎さんとも繋がり私とも繋がっていった。今まで寄居で演奏する場所はなく 私自身出前コンサートの形で 友達の店に機材を運び込みライブを重ねた。それは搬入やらいろいろ大変だった。それは楽しいことも多かったが。。とにかく始まったのだ。


我LOVE BONEもリハをやり曲数を増やし頑張って行きたい。メンバーの表情も嬉しそうだ。
生きていればこそとの気持ちがある。そして続けていて良かったとしみじみ思う。


2月22日(木)
今日は風邪をひいたようで 友達との約束をキャンセルし家にいた。息子家族はスキーということなので 下の孫と家内と遊んだ。唄の練習もできたが体調が 今一。。しかし練習をすることが 今度のオリオンライブに向け 高揚する。



2月21日(水)
いやはや息子を指導していくのは 大変だ。期間ももう1月となってしまった。彼が何を見て学んだか私自身心もとない。しかし私の仕事ぶりを見せることで誠意を持って教えたと思う。彼と一緒に仕事をするのも5年先だろう。忸怩とした思いもある。運命なのかもしれない。4月から彼は鍼灸学校に行く。


レトリック:言葉を巧みに操る人間がいる。しかしそこに心のこもった石を投げ入れると 漣が起き揺れ始める。ここが面白い。気づかせることは難しい。イギリスの格言で「馬を水辺まで連れて行くことは出来る。ただ水を飲むのは馬次第だ」




2月25日(火)
埼玉県歯科医師会の会長選挙が終わった。井坂先生が就任なされた。この会長選挙は各地区の歯科医師会からの代議委員2名による選挙で行われる。少し新しい風が吹いてくれればいいが。まず提案として各部が縦割りでなく横のつながりを強化すること。学閥をなくし会員による全体の選挙などを要求したい。歯科医師は 自分の世界に篭りがちになる。悪く言えば
自分が親玉という構図は拭いきれない。良い事をすると変人扱いされた友人もいる。しかし
彼の努力でフッ素の事業も進み 明らかに深谷市の花園地区の子供達のう蝕は減った。素晴らしいことである。我々がやるべき事はまだまだ沢山ある。




2月19日(月)
酒と言うもの。なかなか未だに上手にお付き合いが出来ない。楽しい仲間と酌み交わす時
家内にあきれられるくらい酩酊して帰ってしまう。
ドギーにお土産に貰ったモンゴルのウオッカ・・。「少しならいいですよ。多くはだめね」と言われ苦笑いをしてしまった。モンゴルでも随分飲んだからなぁ。
ようやくOCNのテレフォンでのカスタマーセンターに電話し メールが復旧した。ただアドレスが何処かに行ってしまっている。




2月17日(土)
「錆びるより 燃え尽きたい」
本当にそう思うこの頃です。切り開くことは多難が多いですが いつも同じ場所にいることは出来ない。この言葉はイギリスの格言だそうですが、好きなミュージシャン「二ール・ヤング」が
語りはっとした言葉。二ールヤングは 同じ場所に留まる事もなく 錆び付かず変貌している。
考えて見れば「マイルス・デービス」もそうだあったし ボブ・ディランも・・・。
日本では 細野晴臣氏がと思いついた。  Blues界では「ホトケさん」に尽きます。山岸氏がニューオリンズに移り住んでからDUOの旅が始まりトリックバックを経て今では沼澤尚氏との
バンド結成など誰が予想できたか・・。渋谷のオーチャードホールがきっかけであったが そもそもこの企画を東急に持ち込み切り開いたホトケさんの 足取りは本物の男だ。




2月13日(火)
この連休は いろいろなことがあり忙しかった。10日は仕事を終え オリオンに駆けつけ
「荒川団」のライブのお手伝いをした。音のバランスをとった後、リハを彼らは1時間半たっぷりやり私は一人開演まで 夕食をとるため駅までの通りを散策した。オリオンのライブが始まり
これほど歩いたことはない自分に気づいた。車で通り過ぎるだけだからだ。この通りは一方通行のためか とても歩きやすい。また焼き鳥さんが「金太郎」「暖」(今マスターが入院中で 回復を祈るばかり)「田辺」そして往年賑い復活した「市川ホルモン」と点在する。そして少し離れたところだが「安楽」もある。
お蕎麦屋さんも暖簾を開けていたし 山崎旅館での食事処もあり 土曜日はそこに初めて寄った。厚焼き玉子をつまみに頼んだら 大きな厚い卵が4つ皿一杯に並べられお通しなのか芋の煮っころがし 大根と鰤の煮付け それと切干大根を頼んだら小さなパックごと出て・・・・・
これだけの量は いくら私でも食べられない。パックを頂き 荒川団へのお土産とした。
ライブは とても熱かった。日々の仕事をやりくりしリハをやり またバンマスのまこちゃんは退院したばかりである。体力的にもきついかなと思ったが 大勢のお客さんを湧かせ おやじとしての誇りを持った音を繰り広げた。こういう時「マスターに紹介して良かった」としみじみ思う。アニマル「浩ちゃん」とともに「どんぐり」で打ち上げ。。いやはや楽しかった。


翌日は娘の結納。とても優しい彼なので 心配はしていなかったが ご両親とは初めてお会いする。乾杯の前から話が弾み意気投合。お父さんの趣味が「釣り」と聞き5月に日光の湯の湖に行く約束までしてしまった。11月が挙式だが 無事に迎えられることを祈るのみ。 




2月8日(木)
孫の病気
孫が病気になってしまった。うろたえるだけ。祈るだけ。ロタウィルスによる症状との事。
親たちが遊びに行って 急に吐き出し近所の小児科に駆け込んだ。その病院は以前私のところで働いていた歯科医の母親の小児科だった。奇遇だ・・。
ロタウィルスは生後6ヶ月から2歳までまでに 起こる病気だ。ノロウィルスの大腸炎と違い何度も繰り返さないとのことだが。ぐったりしている孫を抱き 涙が出てしまった。家族全員で支えられるのが何よりもの救い。


今日は午前中は グループホームの口腔衛生指導にスタッフと出かけた。アルツハイマー、認知症の方々の指導だったが 本腰を入れてこの仕事に取り組みたい。足があるのだから走れるだけ自分の出来る医療を施したい。


2月6日〔火)
バ-ボーン・ストリート・ブルース by高田渡
この本は俺の愛読書です。鮎川誠氏の出された本にも紹介されている。鮎川氏の著書も彼の(渡さん)の懐の広さと誰にでも優しい姿を語っている。正木五郎ちゃんも春一番のとき 意気投合したことを私に話してくれた。 渡さんはそういう男なのだと思う。分け隔たりをしない人なのだろう。漣君とのCDも出色だし この人の音楽は 私にとって財産だ。




2月5日(月)
スタッフの子が 風邪を引きお休みとなった。今はスタッフが一人かけても足りなさが 充満してしまう雰囲気になり 忙しくなる。これも去年の歯科界を覆ったとんでもない改正によるものだ。スタッフもぎりぎりの状態でしか雇用できない。カルテも患者さんに行った治療行為が 書けない。ゆえ各歯科医院の収入は20%から30%減収している。倒産した歯科医院が全国で
増えている。




2月1日(木)
今日 母が転院した。老健施設であるが、病院の計らいで以前同じような治療が施される。
母は不安のためか少しどきまぎしているようだった。しかし今回の施設の方々の優しい言葉に
安心しているようでもあった。 午後は息子家族が 励ましに訪れた。母もさぞかし嬉しかっただろう。家族のありがたさである。




1月31日(水)
昨夜は LOVE BONEのリハだった。ピアノのしゅうろうが初参加の音を出し 彼の実力を
しかと感じた。ギターのいっちゃんも嬉しそうだった。このバンドで ベースマンの松村君は
本当に口数が少なく まして練習日をメールで送っても 返事も来ない。いったい来るのか来ないのかと思うが 彼は必ず来る。リハは仕事からか遅れて来たが ベースマンらしい雰囲気を持つ彼に 私は信頼をしている。ドタキャンすることもなく彼は 黙々とブルーズのツボを捉えてくる。才能があるのだろうな。
しゅうろうは彼のステージを観た時 彼しかないと思った。ニューオリンズのピアノも しかと ものにしていたし リズムが多様でしっかりしていて素晴らしい。ドラムとリズムが合う。
彼が 始めはブルーズの原曲は同じように始めは聴こえてしまうとふと彼が話した時、昨夜、ドラムのタッチャンが「俺も始めは そう思いチャンさんに言ったら全部違うのだよ」と言われたと話した。そうなんだよ。奥深くなると アイドルたるT−boneの曲も みんな違うし いいんだな。


1月30日(火)
母の転院が決まった。木曜日に引越しをする。今度は静かな老健病院だ。母のことを思うと
胸が突然掻きむせられる気分になる。
我々家族は 水面下にある母に対し いつまでも最善の努力をしていきたい。



1月29日〔月)
大学の仲間の新年会で 泊まりで大宮に行って来ました。50才という年齢になり 同じ釜の飯を食べた間柄ですので 大いに語り笑いあいました。年2回彩9会という埼玉近郊の仲間が
大宮に集まります。大宮は栃木 高崎から集まるのにとても便が良くお店も豊富にあります。
今回は皆で沖縄料理を堪能しましたが 料理も美味しく泡盛10年ものも最高でした。ただ・・・・・・ね。二日酔いも。
また夏に暑気払いで集まりましょう。。




1月26日〔金)
昨日は 寄居のお店「小兵衛」で 料理を堪能した。このお店の名前は そう「剣客商売」から
付けられた名前である。昨年二人のお子さんが誕生され 男の子で「大蒔郎」と名づけられた。面白い。女の子であったら「三冬」ちゃんだったと言う。池波正太郎氏の世界への敬慕が良く分かる。私もこの「剣客商売」という作品が大好きで 今発売中のDVDは全部持っていて
お酒を飲みながらこのDVDを観るのが 何より楽しい。この作品の料理指南はあの近藤文夫氏である。江戸の料理が 素晴らしい世界となり全編を彩る。




1月24日〔水)
LOVE BONEのblogの立ち上げ オリオンのblogのお手伝いをしているので 中々ここに書き込めないでいます。でも久しぶりの充実感があり ワクワクしています。遊んでこそ 仕事にも 前向きになるような気がします。
最近復刻した「ブルース飲むバカ歌うバカ」著者は大好きなギターリスト吾妻光良氏。この本は 古本屋のインターネットでも探しに探しまくった本です。ブルースインターアクションから出版されていますが 抱腹絶倒の本です。是非お求めを!!
ゲイトマスブラウンに怒られまくったインタビューなど 堪りません。



1月2日(月)
謹賀新年
今年も宜しくお願いします。
山あり谷ありの昨年でした。でも出来事はしっかりその都度受け止め 歩いていかなければ
なりません。私にとって財産は 多くの友人と家族です。健康であることを 願い、この一年多いに働き 遊ぶこと
夢中になることになると思います。皆さんも楽しいことに没頭してください。

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