2006年 1月〜6月
→バックナンバー

6月26日(月)
昨夜は ホンキーに出かけ久しぶりに房之助さんのLIVEを堪能した。実に唄が上手い。身体に染み付いた遅れ気味の貯める様なテンポで数々の曲が演奏された。OTIS RUSHやらジェラスガイ イマジンと名曲が房さんの唄として胸に突き刺さった。グラディスも唄う雨の中のGeogiaは涙が出た。房さんの唄から今までの生き様がたっぷり伝わる。


房さんを知ったのは1970年後半からだ。私が始めてプロデュースをし 身近に接したのは
ホンキーでのライブだった。その日はウエストロードのメンバーの山岸氏の代わりに房さんが入ってのバンドだった。あの頃房さんはONE ARMという新しいバンドで演奏してた頃だ。それから数年後BB QUENSで紅白に出るまで深くお付き合いをした時期だったなあ。
自転車で肉体は鍛えられ 今でも酒は充分飲まれる。タフな人だ。終演後まあちゃんに言われご挨拶に行ったが おう、久しぶりですという房さんから言われ ハグをした。メインバンドの青木さんが急逝され 心配したが 房さんは「またバンドは解散し 新たに出直すよ。1年くらいは大変だけど。生きているんだから続けるよ」と言った。


Blues界の屋台骨を支えているのは ホトケさんと房さんである。他の人と意志力が違う。二人とも仲がよいし戦友である。この日本でこの音楽をプロとしてやり続けている人はいない。
今後もお二人の行く方向は常にアンテナを張っていたいそしてLIVEに行き続けたい。



6月16日(金)
最高のベーシスト青木智仁さんが急逝された。信じられなかった。ホトケさんのHPの掲示板で
知りその後ホトケさんの哀悼の言葉が寄せられた、
ホトケさんの言葉。青木さんをホンキーにお呼びしあの5弦ベースプレーに圧倒され、五郎ちゃんが「実にええベースや」といつも言っていた。
その後房之助さんとB&Oを結成し リズム隊の青木さん五郎ちゃんは最高だった。
49歳という若すぎる死。もったいない人を失ってしまった。



孫、晴翔が生まれた。



6月1日(木)
母が元気である。今日は静に微笑み私をにっこり迎えてくれた。お昼を介助しながら食べさせ
食欲も旺盛だった。本当は一人で食べるほうが良いのだろうが、毎日誰かに急かされながら食べているのだろうと思うと 私はほとんど食べさせてあげる。小さいころ 母にそうさせて貰ったように。。
2週間前病院から あんまり動作が感情が出て手に負えないので 精神科に受診するように言われ 脳への薬の副作用を恐れたが 精神科の医師は「今はこのように 喜怒が激しく出ていますが 必ず落ち着きます」と言ってくれたので ほっとした。しかしお世話になっている病院の婦長さんから再度電話があり 多分相当手こずらしたのだろう.。「お薬どうしますか?」と聞かれ私は断固飲ませないで下さいと告げた。結果は良かったと思う。



これ以上母の脳に影響する薬は梗塞に関係する薬以外は 止めていたほうが良い。
母は 実に起用に車椅子を操るようになった。特に後ろに下がるのが上手い。角をするりと同じ距離で曲がる。感心した。もう10ヶ月になる。


5月27日(土)
ホンキートンクのまあチャンが余りにもハイペースで LIVEをやっているので、何か吹っ切れたのかと思ったら 30周年LIVEを続けていると わかった。この地で30年。本当に継続して
1流のミュージシャンにも認められ信頼され 本当におめでとう。よくぞ、だな。
最近はアマチュアの皆にも機会を与え 彼らにも慕われ楽しく過していると人づてに聞いている。私のように古い仲間は 事情があり足が遠くなったりしているが またこの30周年を契機に
爺むさくお付き合いをさせて貰おうと思っています。
二人でいろいろ遊んだこと。私に素晴らしい舞台を提供してくれたこと。感謝にたえません。
お互いあと10年20年とのんびりぼちぼちとやっていきましょう。
是非トップページからも入れます。もちろんLIVE スケジュールそしてLinkからも。
ホンキーにお出かけください!!!



5月25日(木)
まったくまた風邪を引いてしまった。昨日は頚椎の特有の症状、やる気がなくなるというかとてつもない頭痛に悩まされた。2回のお灸をしてもらい 何とか頭痛はとれたが やばい感じだ。
今度は確実に風邪の症状が出ている。今日はのんびり家で休養しよう。

ホンキートンクが 本当に素晴らしいミュージシャンを呼んでいる。「あがた森魚 武川さん」
「近藤房の助バンド」「加川良」と軒並だ。まあちゃんに何があったのか吹っ切れているようだ。
あがたさんのチケットは即購入した。次は加川良さんだ。


7月の町長選に津久井現職が 引退を翻し出馬を公表した。各誌の新聞にも載っていた。4期目か。本田が来ることで風向きが変わりまた現職の議員の病気のための出馬取り消しもあり
本人を担ぐ人が大勢だったのだろう。津久井さんも町長になりたてのころ いやその前から知っているが 多くの人の意見を公平に聞けた人である。謙虚に粛々とやって欲しい。



5月22日(月)
昨日はトンボ公園の総会だった。青空の下作業を行ってから総会は始まった。五月晴れが久しぶりに戻り 平成17年度の事業報告、会計そして平成18年度の事業案 会計案が議題になり活発な議論と和気藹々の雰囲気で議事が進められた。もう18年にもなる仲間達。少しも変わらずお互いを尊重し自分の出来ることは やるというスタンスは気持ちの良い会である。
石川新代表も「まず作業を重視し 訪れる人たちが気持ちの良くなる公園にしたい」と話された。昨日も男衾のトンボの里公園木道に角材が運び込まれ ちゃくちゃくと修理に手をつけている
。閉会の辞で内田さんが「皆に会いたいと言う気持ちで集まれる会は 本当にいい」と
話されたが まったくそうである。続けていくことが大切だということも。
末野、折原ともどもきちんと整備し大勢のお客さんを迎えたい。


5月17日(水)
いやはや、あっという間に5月も半ばを過ぎた。この4月末〜息子家族が同居になり目まぐるしく変化がおきて戸惑いも。母への介護も手が増え その分は私たちは助かっているが。


頚椎の感じがどうも思わしくない。毎日非常に疲れが残り 肩こりも。何しろ低気圧が関東から西に横たわり まるで梅雨のようだ。五月晴れはまだほとんど見られない。この低気圧は頚椎にはとても良くなく
神経痛の悪化で苦しんでいる人も 多いと田端先生から聞いている。
4月から信じられない医療保険の改正に苦しみ日々格闘しているのも 頚椎を悪くしている。
この国会でまた医療制度の法案が通る。野党が審議不足で反対しているが数の論理で押し通されるだろう。医師会も自民党離れが加速している。歯科医師会は 何の力もない。
とにかく患者さんに保険での治療が困難になってきている。


5月6日(土)
今日は 家内の誕生日だ。いろいろあった1年、家内は本当に頑張った。感謝で一杯。いろいろと人生の過渡期を迎えているが、君がいてくれたからと思うことが多い。
二人で昨日は 「RAY」を観た。素晴らしい映画だった。


5月5日(金)
母を昨日に家に連れてきた。日に日に分かって来たのだろうが 家に来ることは不安かい
と訪ねると頷いた。母はこの頃良く動く。自分の左手で取っ手を掴みどんどん車椅子を移動させる。病院だとそれが可能だが 家では家具にぶつかったり外に出ようとしたりして大変だった。前の駐車場のコンクリートの上で焦ったように乗ってきた車を手で指した。帰りたいのかいと訪ねると病院に戻りたいと意思を頷きで示した。3時間ばかりの帰宅だったが大いに反省もさせられ母の世界はもうここにはないのではないかと 思った。




5月2日(火)
連休の谷間という感じの日だ。家族が増えおおわらわ。母の看病もその分,分担が出来良い。
食事の時 一気に3人分増えたことに
感慨深い思いだ。
ホトケさんが先週のライブの報告をHPでしてくれた。気恥ずかしいような嬉しいような。
ホトケさんのDIALYホトケさんと過す2日間は本当に楽しい。



4月28日(金)
昨日は 早朝より間瀬湖に出かけ・・ふふふ大爆釣でした。55枚。餌のブレンドをオリジナルにし両ダンゴ、または食わせはグルテンを使いました。へらが湧くという状態を始めて知り また手の怪我によってしばらく出来なかった釣りを 新緑の中 満喫しました。
冬の厳しい中での釣りから一転した春の釣り。しかし今年は気温の差が大きく難しかったですね。嵐山の水坂沼にリベンジに行きたい。本当に冬はへらが動かないのだから大変でした。
連休はどこも混雑するでしょうね。


4月からの保険改正は 改悪です。我々歯科医が今まで保険で出来ていたことが潰され 信頼の中でしか歓びがない仕事が 2倍のエネルギーが費やされ術者が依然と同じ気持ちが保つことが出来なくなりました。また定期健診を患者さんの負担を少なくするため用いていたものが廃棄され 困惑しています。こんなことは開業し20年。初めてのことです。




4月25日(火)
半年振りのライブが終了した。いらっしゃった大勢の皆様 ありがとうございました。
後日内容を書きます。

16日 釣りに行き 手を怪我をしてしまった。その時は 深く鋏を刺してしまったのだけど 出血が夥しかったのでタオルで刺入部をタオルで押さえ 尚且つ釣りを続行した。ただこの場所では雑多な菌がいるので 家に戻ることにし 途中でドラッグストアーで「オキシフル」「希釈ヨード」を
購入しドラッグストアーで消毒し傷口にガーゼを置いて戻った。・・そしてしばらくすると刺入部からヨウドが滲み込んだのだろう。また脱脂綿を覆った部分が変色しだし それが皮が剥けるところまで悪化してしまった。火傷の2度まで行っていると友達の医師に言われた。ヨードすなわち
薬による火傷である。性質が悪い。偽膜が出来てそれをごしごし剥ぎ取った。その痛さといったら・・・今は毎日ヒビテンで消毒している。新しい皮膚が再生してきた。
乗っこみの時期の釣りを出来なくしてしまったのは冬場あれだけ頑張ったので 悔しい。

4月10日(月)
今回の医療改正は 最悪な事態に。歯科医師会では急遽対策チームを作り対応・・?
患者さんとの信頼関係を強化されたり 治療に足かせをされ従来の治療を保険でどう対応するのかわからなくなってしまった。


母のリハビリも発症後6ヶ月
で打ち切られ 母は何とか今の
病院で行っているが 前の病院ではケースワーカーに何もしてくれないのですから日向ぼっこがおちですよ。と言われ何とも言いがたい怒りに満ちた。施設にいれ介護保険を使ってみろ
ということなのだ。介護保険では医療行為としてのリハビリとは程遠く 家族の希望も失せる。
小泉政権にほとほとあきれかえった。使うべきお金が違う。





3月31日(金)
ありゃま もう3月も終わりだ。昨日は久しぶりに夕方プールで泳いだ。いや歩いたというべきか。この1月からの風邪と施設の休館でご無沙汰をしてしまい 身体も呼吸していない状態。

来月は久しぶりのライブ。22日さち庵です。どうぞ来てください。


バリアフリーやら車椅子専用の車の購入やらで ふうふうう。長年乗った車やら母の車を出し
いよいよ自宅介護?に向けて動き出した。居心地良い環境となるとこの町の道路はずさんで
車椅子の通る歩道など何もない。桜を見せに連れて行きたい。


3月22日(水)
昨日は 前日血圧が下がらないので 田端先生の治療を受けるため尾島(太田市)に出かけた。頚椎の5,6そして中央部分のコリが酷く押されるだけで呻いてしまった。血圧の不安定さはここから来ているとの診断だった。WBCのラジオ放送がなる中 改めて気、血、水に関する
東洋医学を学ぼうと思った。病院で 脳梗塞の患者さんを 母の病院で見つめたが毎日予防の薬を飲んでいる人さえこの病気に陥ってしまう人たちを 本当に多く見たからだ。東洋医学は生活に律する学問である。田端先生は お元気である。


その足で母の病院に。庭に出て咲いている花々を二人で見つめた。入口の白木蓮も綺麗だった。母は本当に花が好きだ。春の家の庭も見せたい。



3月21日(火)
春の嵐が吹き荒れた。梅の木が静かに耐えている。厳寒であった今年の冬も過ぎ去ろうと
している。満開の桜の下での ヘラブナ釣りも もうすぐだ。
母が病院を移り 静かに回復するような気がしている。今までの野戦病院のような場所から
今は 静かな生活を 取り戻した。前の病院で粗雑に扱った看護助士に 母は手で追い払うようにした。よほど 嫌な奴だったろうだろう。新しい病院で 来月のお誕生会用の写真を撮影された。母と二人だった。初めての写真だ。・・・・胸が詰まる。



3月19日(日)
今日は 折原トンボ公園の作業だった。いつもの仲間と和気あいあいと・・。念願の折原トンボ公園の入口が完成した。いやはや皆プロのようである。本当に山奥深いところですがこれからのシーズンは益々良い気持ちの公園です。是非、遊びに来てください。
今日からぼちぼち書いていきます。






2月3日(金)
Blogにいろいろ書いています。次から次へといろんなことが降りかかりめげています。
人間は30代から50歳代までロバのような生活だそうです。重荷を背負いとぼとぼ歩くと。
旅をしましょう。歩き回りましょう。扉を開けましょう。そんな心境です。




1月31日(火)
この日々思うことは春までお休みをします。他のコンテンツは更新するようにしますが
それも 当てにしないでね。



1月25日(水)
波があるのだろう。母は先週土曜日から看護士が持て余すほど メンタルが落ちてしまった。
日曜日には午後一杯付き添ったが 声を上げて泣いていた。土曜日には「こんな状態では置いておけない」とまで家内が言われて悔しい思いをしたが 
病気なのだから仕方がないではないか。あれほど元気に働き 老人会でも私が驚くほど積極的に動き それが突然と病魔に襲われたのだから。


母自身が失ったものを理解してくればしてくるほど悲しみは深くなり 家族はそのうめき声に立ちすくんでしまう。もちろん病院内での人たちの対応で 本当に良くやっていくれているスタッフの方々も多い。しかし何気ない一言がどれほど傷つけられるか。脳も喜びが多ければその分反動があり
疲れ ほどほど感情の起伏が今は良いようだ。
家内と自宅介護をこの3日間突き詰めて考えたが 断崖にいるような気持ちになってしまい
辛かった。結論は出ない。


時間が経って来ると私自身自分が情けなくなってしまい 猛烈な孤独感に苛まれる。
家内が「お母さんにとって大切なのは 平穏な時間」と言う。今後も大きな突風も我々が受け止め他人が何と言おうと母の残された人生を平穏に過すことを生活の中に位置づけていくことが大切なのだろう。


先週、母にいとおしい表情で頬を摩られた時 私はこの瞬間だけでもう良いと思った。
親不孝の果てにある母の愛情に包まれた時間は 30年経ってようやく訪れたことも事実でもある。


1月20日(金)
昨日の母は とてもしっかりしていて機嫌が良く私の頬を左手で何回も何回も摩った。
前日の姉妹弟のお見舞いがとても気分の良いものだったのだろう。
視線がしっかりし感情の
波はあるにしろ良く笑いリハビリも頑張って歩行練習を行った。
長い闘病生活で こういう日があると私たちの心も軽くなる。右側の視野が見えること、そして言葉の構築もプロのプログラムを経て 少しずつ良くなることに なると願っている。
リハビリ師の人たちの努力は 本当に頭が下がる。
また姉妹弟の皆さんを連れてきてくれた従兄弟のご夫婦の気持ちに 深く感謝したい。




1月18日(水)
昨日の朝 スタッフから友達の母上が逝去されたと聞き 涙がこぼれた。もう7年以上私の医院にお出でになり 私といろいろな話をした想い出は尽きない。持病なためご苦労をなされていたが、私の母のこともいつも心配して頂き感謝していた。夕方お顔を自宅にお邪魔し拝見した。
口元の私が作った歯が 綺麗に光っていたのが何より。天国で美味しい物を食べていただきたい。ご冥福を慎んでお祈りします。



家内の慰労なため午後だけのプレーをしたのだが 私がゴルフを再開したと巷では噂になっていた。ふうんん・・・。大好きな人達だけと時間があればやりたいだけ。
今はとにかく趣味は釣りだ。羽生に先日出かけたが 椎の木湖の素晴らしさに感動し
また行きたいとうずうずしている。厳寒なこの時期での釣りは 中りがないがとても勉強になる。昨日は友達のお父さんがへらぶな釣り師と聞き 嬉しく思った。いい酒だった。


3月にはLEODUOをお呼びし素晴らしいライブを行う企画をしている。LOVE BONEも出ます。


1月16日(月)
ふと 今母は病院で 何をしているのかと思う。眠れず目を開けていることがあると 家内が
看護婦さんから聞いた。すっかり見舞いの人も減り 静かな毎日だ。
母の姉妹弟さんたちも自分で運転してお見舞いに来れない。乗せてきてくれる人も忙しいのだろう。


母の靴が玄関にそのままにしてある。母のカメラも部屋にそっと置いてある。
今後もう写真を撮ったり野山を歩くことは出来ない。


憤りを感じた。来る町長選に 同世代の人ばかりが名前が挙がっている。私たちの世代を引っ張りいろいろ論議を交わした上の世代の人たちは どう考えているのだろうか。
我々はあるグループを作り頑張ったが 身体を壊したり 商売も上手く行かなくなったりした。
母を抱えている私は街へ出向くことは通分出来ないが この街が良くなることは切実に願っている。



トンボ公園の活動は作業をして自然館の当番をすることが当面での活動だ。もちろん他の支援もある。例えば寛大な気持ちで我々に貸してくれる地主さんそして行きたくても行けず会費を納めてくれる会員の方々。今、仮屋代表の下、「より良いトンボ公園作り」を目指し昨日は 汗を流した。現場に立っていろいろなことを仲間は思っている。昼にお弁当を食べながら話をするのが至福な時間だ。今年も 頑張る。




1月14日(土)
仕事も始まりいつもの毎日だ。この正月には高坂のヘラ釣り場に何回か行き また羽生の
椎の木湖にも足を伸ばした。厳寒のこの時期のヘラはそこそこしか釣れないが 楽しい。
釣り上げたヘラの身体は 頭だけは何とか生気を持っているくらいで 身体は凍っている。よく口を使ったものだと感心してしまう。


多くの年賀状を頂いた。懐かしい人達からも頂きいろいろなことを思い出した。楽しかった思い出ばかりだ。多くの過ぎ去った人もいるが またいつか出会える人達。私が交えた人達の健康を祈るしかできない。


1月5日(木)
お正月のお休みも今日で終わり。やはりいつもと違った休みだった。母を大晦日に一時帰宅と
いう事で連れてきた。家に戻ることにより 何か刺激を受け言葉が少しでも戻るかと期待したが 母自身は何故か沈み込んでいるようにも思え あれほど可愛がった犬達にも 何の興味も
示さなかった。親戚の伯母叔父さんたちは大変喜んで頂いたが 母の認識する脳の回復の遅れに皆さん気づいたようだ。やはり時間が掛かるということなのだが。


2日の夜に観たテレビー再放送だったがとても感銘した番組があった。それは志ん生師匠の
番組で山本晋也監督が進行したもので 長女の方が出たり志ん生師匠のライブ映像もあったりあらためてこの落語家の存在に にんまりした。女将さんの言葉「この人はこれだけ落語の稽古をするのだからいつか売れるはず」と信じきった生活態度。極貧をこの女将さんが明るい生活に変えていったことなど 長女の話からなるほどと感心した。
また長女の方が弟、志ん朝さんの早すぎた死を悲しみ、弟をもう少し生かせて貰いたかったと
話した言葉の重さに 感じ入った。華、艶とも当代一の落語家だったゆえ私も残念で仕方がない。志ん朝師匠が生きていれば あと10年たてば出て来ただけで笑う至芸にも到達したろう。長女の方の「死は志ん朝の全ての芸を持っていってしまった」という嘆き、そして談志さんの「銭を払って見る落語家が 志ん朝が死んで誰もいなくなった」という言葉を思い出した。
銭を貰う芸の凄さ。音楽でも全て同じだなぁ。ホトケさん房さん木村さんも銭を払っても観たい
人たちだ。




謹賀新年
愛犬「はなこ」を連れ 八幡神社に初詣に出かけた。毎年母が早朝お参りしていた。
穏やかな正月になった。「アマデウス」を観ながらのんびりと。孫も来て賑わうだろう。

ページトップへ戻る